中山信徴
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中山 信徴(なかやま のぶあき、弘化3年(1846年) - 大正6年(1917年)1月29日)は、常陸松岡藩の初代藩主(幕藩体制下では藩主として認められず、第14代当主)。父は第12代当主・中山信守(信徴は四男)。正室は内藤政成の四女・鶴子。官位は従五位下、備中守、備前守。
弘化3年(1846年)4月、江戸で生まれる。幼名は弓次郎。文久元年(1861年)2月、家督を継いで当主となり、水戸藩の付家老となった。慶応4年(1868年)正月24日、新政府による「維新立藩」で常陸松岡藩が立藩し、その初代藩主となった。翌年には版籍奉還により藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官された。
その後、明治17年(1884年)、男爵に列せられた。大正6年(1917年)正月29日、72歳で死去した。
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