常陸松岡藩
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松岡藩(まつおかはん、常陸松岡藩とも)は、常陸国多賀郡・茨城郡などを支配した藩(現在の茨城県高萩市下手綱)。
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[編集] 藩史
関ヶ原の戦い後、常陸を支配していた佐竹氏が出羽国久保田に移封された後である慶長7年(1602年)9月、戸沢政盛が4万石で松岡に入り、常陸松岡藩を立藩した。政盛は居城を茨城小川城から多賀郡下手綱の竜子山城に移し、ここを改修して松岡城と改めた。しかし政盛は元和8年(1622年)9月に出羽国新庄へ移され、一時、常陸松岡藩は廃藩となった。そしてその所領4万石のうち、3万石と松岡城は水戸藩へ、1万石は棚倉藩へそれぞれ編入された。
正保3年(1646年)、徳川頼房の付家老・中山信正は松岡に居館を築き、再び松岡藩(ただし、幕藩体制のもとでは正式に藩として認められていなかった)が立藩する。信正は中山信吉の子で、信吉も頼房の付家老として2万石を与えられていた。しかし宝永4年(1707年)、第6代藩主・中山信敏のとき、久慈郡太田に居館を移した。
第10代藩主・中山信敬は水戸藩主・徳川治保の弟であったため、信敬が中山氏を継ぐに及んで、再び中山氏は居館を松岡に戻し、同時に城下町の整備なども行なわれた。しかし、このために財政難が起こり、家臣の俸禄借り上げなどが行なわれる。
最後の藩主・中山信徴の時代である明治元年(1868年)1月、新政府の計らいにより松岡藩は正式に水戸藩から独立した。明治2年(1869年)の版籍奉還で信徴は藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で松岡藩は廃されて松岡県となる。同年11月、松岡県は茨城県に編入された。
[編集] 歴代藩主
[編集] 戸沢(とざわ)家
外様。4万石。
- 戸沢政盛(まさもり)
[編集] 中山(なかやま)家
譜代。2万5000石。
- 中山信吉(のぶよし)
- 中山信正(のぶまさ)
- 中山信治(のぶはる)
- 中山信行(のぶゆき)
- 中山信成(のぶなり)
- 中山信敏(のぶとし)
- 中山信順(のぶより)
- 中山信昌(のぶまさ)
- 中山政信(まさのぶ)
- 中山信敬(のぶたか)
- 中山信情(のぶもと)
- 中山信守(のぶもり)
- 中山信宝(のぶとみ)
- 中山信徴(のぶあき)