中山家
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中山家(なかやまけ)は、羽林家の家格を有する公家。江戸時代の家禄は200石。侯爵。
藤原北家花山院家の支流。花山院忠宗の子中山忠親を祖として、平安時代末期に創設された。江戸時代後期の愛親(なるちか)は、尊号事件の際、松平定信と対抗して、正親町公明と共に処分された。
忠能(ただやす)は明治天皇の御生母慶子(やすこ)の父。幕末から、明治維新にかけて勤王家として活躍し、条約勅許反対、和宮の御降嫁を推進した。忠能の七男、忠光は尊王攘夷派の急先鋒で天誅組の変で挙兵し、後に暗殺された。
明治維新後、明治天皇の外戚に当たるということもあり、忠能は侯爵に叙せられ、神祇伯を務めた。孝麿は東宮大夫や宮中顧問官を歴任した。
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