中山愛親
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中山愛親(なかやまなるちか、寛保元年5月25日(1741年7月7日) - 文化11年8月18日(1814年10月1日))は、江戸時代後期の公家。父は中山栄親。母は勧修寺高顕の娘。
1761年(宝暦11年)参議に任命され、1774年(安永3年)権大納言に至る。1782年(天明2年)議奏となり、光格天皇に近侍した。天皇の父閑院宮典仁親王に対し太上天皇号を宣下することに腐心したが、幕府はこれを認めず事態は紛糾した(いわゆる「尊号一件」)。1792年(寛政5年)幕府の命により武家伝奏正親町公明とともに江戸に喚問され、老中松平定信と対談釈明したが、閉門を命じられた。帰京したのち蟄居し、議奏を罷免された。
明治時代に入り、1884年(明治17年)従一位が贈られている。
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