中川王
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中川王 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 중천왕 |
漢字: | 中川王 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
チュンチョンワン |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語: | Jungcheon-wang |
中川王(ちゅうせんおう、224年 - 270年)は、高句麗の第12代の王(在位:248年 - 270年)。姓は高、諱は然弗。中壌王ともいう。先代の東川王の子であり、243年に王太子に立てられ、248年9月に先王の死去とともに即位した。
[編集] 治世
即位年の11月に、王弟の預物・奢句らが反乱を起こそうとしたのでこれを誅滅した。王后には椽氏を立てていたが、のちに貫那夫人を寵愛し、小后(側室)にしようとした。王后と貫那夫人とが寵を争って謗り合いをしたが、貫那夫人に詐言があって王は怒り、251年に貫那夫人を革袋に入れて西海に棄てさせた。
259年12月に魏の将軍の尉遅楷が攻めてきたが、精兵五千を送り梁貊の谷で大いに破り、首級八千をあげた。
在位23年にして270年10月に死去し、中川の原に埋葬され、中川王と諡された。
[編集] 参考文献
- 『三国史記』第2巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X
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