久我山大学
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久我山大学(くがやまだいがく)は、かつて東京都杉並区久我山に存在した日本の私立大学。1949年に設置されたが、1950年に一人も卒業生を輩出せずに廃校となった。
1950年11月30日の衆議院文部委員会で久我山大学の廃校問題が取り上げられた。議事録によると、渡邉助教授が学年末まで廃校を食い止めようとしたが、多勢に圧されたとされる。
現存する久我山大学に関する資料は乏しく、詳細は不明。
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[編集] 沿革
- 1942年 岩崎通信機社長岩崎清一によって学校建設が開始される
- 1944年 財団法人岩崎学園 久我山電波工業専門学校(電波兵器科・機械科)・久我山中学校(旧制)開校。両校は同じ敷地内にあった。
- 1946年 久我山電波工業専門学校から久我山工業専門学校に改称。電波兵器科を電気通信科と改称。電気科・化学工業科を新設。
- 1948年 学制改革により久我山中学校は(新制)久我山中学校・久我山高等学校となる
- 1949年 岩崎学園から久我山学園に名称変更、久我山工業専門学校を母体として(新制)久我山大学発足。学生は第一学年(新入生)約100名、第二学年(久我山工専から移籍)約40名
- 1950年 大学学生募集停止、廃校。在学生がどのように処されたかは不明。
- 1952年 久我山学園は國學院大學と合併、中学・高校は國學院大學久我山中学校・高等学校となる
[編集] 教育および研究
[編集] 組織
[編集] 学部
- 工学部
- 電気工学科
- 機械工学科
設立前の計画では上記の他に、工学部応用化学科・経済学部(経済学科・経営学科・貿易学科・交通学科)の設置が予定されていたが実現しなかった。
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