九七式重爆撃機
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九七式重爆撃機(きゅうななしきじゅうばくげきき)【キ-21】は、大日本帝国陸軍が九三式重爆撃機の後継として開発した、双発単葉・引込脚の近代的な重爆撃機である。九七式重爆撃機は、爆弾搭載量や航続距離よりも速度を重視した設計がなされ、重爆撃機と名称されながら爆弾の搭載量が外国の同種の機体に比較して少ない。開発は三菱と中島による競合の結果、三菱が担当する事になり(初期型の発動機は中島製だった)、1937年(昭和12年)に正式採用され、陸軍の主力爆撃機として活躍した。連合軍によるコードネームは「Sally」。
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[編集] 近代爆撃機に対する設計思想
陸軍の爆撃機に対する設計思想は、爆弾搭載量や航続距離を多少犠牲にしても、敵戦闘機の追撃を振り切れる位の高速性能を確保する事を重視し、爆弾搭載量の不足は反復攻撃を行う事で補うという戦術思想だった。本機もそのような思想のもとに設計が行われたが、結果的に同時期に存在した敵側の最新鋭戦闘機を振り切るほどの速度はなかった。結局、この陸軍の重爆撃機に対する設計思想は終戦まで変わる事は無く、以後開発された重爆撃機は、いずれも爆弾搭載能力が低かった。
[編集] 実戦での評価
多少の問題点を含みつつも、初めて開発された近代的爆撃機としては一応の成功作と言えるもので、実戦部隊からの評判も良く、信頼性が高かった。後継機の開発・実用化の遅れから数々の改良を加えられながら使用され続けたために本機の生産期間は長く、各型合わせて2,000機以上が量産され、陸軍重爆撃機ではもっとも多く生産された機体となった。
[編集] 輸送機型
本機の高性能に注目した陸軍は、本機をベースとした輸送機を開発し、百式輸送機【キ-57】として採用され活躍した。また本機をベースに陸軍の命令により人員輸送型にすべく胴体を再設計して完成させた旅客機にMC-20がある。
[編集] 義号作戦
本機を使用した日本陸軍による空挺作戦『義号作戦』が1945年(昭和20年)5月24日に実施され、米軍の占領下にあった沖縄の飛行場に、陸軍の兵士(義烈空挺隊員)を乗せた本機が強行着陸を敢行、機体から飛び出した兵士による破壊活動で、米軍飛行場を大混乱に陥れた。
[編集] 主要諸元
- 全幅:22.5m
- 全長:16m
- 全備重量:約9700kg
- 乗員:7名
- 最高速度:478km/h
- 航続距離:2700km
- 発動機:三菱ハ-101・1500HP×2
- 武装:7.7mm機銃×7・爆弾750~1000㎏
(主要諸元は2型甲)