交州
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交州(こうしゅう)は、古代中国において現在のベトナム北部を中心に置かれた行政区域。漢の武帝が置いた十三刺部の一つ、交趾に由来する。
- 後漢の建安8年(203年)、交趾刺史部を交州と改めた。広信(現広西省梧州市)を治とし、後に番禺(現広東省広州市)に遷った。現在の広東省・広西省の大部分とベトナムのトゥアティエンフエ省以北の地域を統轄した。
- 三国時代、呉はそれまでの交州を交州と広州の二州に分けた。龍編(ハノイより東にあった)を治とし、現在のベトナム中・北部、広西省の欽州地区・広東省の雷州半島を統轄した。
- 南朝、宋以降は南が現在のゲアン省とトゥアティエンフエ省境界まで、東が広西省南流江の河口まで境界が遷った。
- 梁以後は紅河デルタ一帯のみに限られ、唐代には交趾郡を廃してその故地をもって交州の領域とされてハノイ付近一帯に限られた。