伊藤憲一
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伊藤 憲一(いとう けんいち、1938年- )は、日本の国際政治学者。専門は国際政治学、戦略論。日本国際フォーラム理事長、東アジア共同体評議会議長、グローバル・フォーラム執行世話人。
外交官出身の研究者で、海洋国家としての日本の将来像を模索している。また、日本国際フォーラムや日本紛争予防センター、東アジア共同体評議会などの諸シンクタンク設立への関与に見られるように、学界と実務担当者との接続、世論の啓発に積極的な姿勢を見せている。
産経新聞の「正論」欄などにしばしば寄稿しているほか、かつてはテレビ朝日系で放送されていたおはよう!CNNのキャスターを務めたこともあるなど、活動の幅は広い。
最近は、ヴェストファーレン条約以降の近代国家による国際システムが大きな変容を遂げており、「不戦共同体」とも言い得る状況が現れつつあるとの分析を提示している。また、ロシアの本質は「力治国家」であるとして、ウラジーミル・プーチン政権を批判している。
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[編集] 略歴
- 1959年 外交官上級試験合格
- 1960年 一橋大学法学部卒業、外務省入省
- 1961年 ハーバード大学大学院政治学部留学(ソ連外交研究、博士課程中途退学)
- 1963年 在ソ連大使館三等書記官
- 1965年 外務省国際資料部事務官
- 1967年 外務省経済協力局事務官
- 1970年 在フィリピン大使館二等書記官
- 1973年 在アメリカ大使館一等書記官
- 1975年 外務省アジア局南東アジア第1課長
- 1977年 外務省退職、伊藤憲一事務所開設
- 1980年 青山学院大学経営学部助教授
- 1982年 青山学院大学国際政治経済学部教授(-2006年)
- 1983年 日米欧加四極フォーラム(現グローバル・フォーラム)執行世話人
- 1985年 北海道大学スラブ研究センター研究員(-1986年)
- 1987年 財団法人日本国際フォーラム理事長
- 1999年 特定非営利活動法人日本紛争予防センター理事長(-2004年)
- 2004年 東アジア共同体評議会議長
- 2006年 青山学院大学名誉教授
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『アメリカは甦るか――現代アメリカ政治外交論』(合同出版, 1980年)
- 『ソ連は強いものには手を出さない――日本が強者であるための国際戦略』(ごま書房, 1982年)
- 『国家と戦略』(中央公論社, 1985年)
- 『世界が日本の将来に蒼ざめる理由――歴史の流れを読む』(光文社, 1986年)
- 『大国と戦略』(ネスコ, 1988年)
- 『日本の大戦略』(飛鳥新社, 1990年)
- 『「二つの衝撃」と日本――「勝者なき平和」の「新世界秩序」を求めて』(PHP研究所, 1991年)
- 『地平線を超えて――インターナショナル・ナショナリストの視点から』(三田出版会, 1993年)
- 『21世紀世界への道案内――25の視座から変わりゆく世界を透視する』(三田出版会, 1995年)
- 『超近代の衝撃――21世紀世界の力と論理』(東洋経済新報社, 1995年)
- 『歴史を読み解く――「ポスト戦争時代」としての現代』(モラロジー研究所, 2003年)
[編集] 訳書
- (ジョージタウン戦略研究所編)『ソビエト・マニュアル 上下』(PHP研究所,1984-1985年)
- (ズビグネフ・ブレジンスキー)『大いなる失敗――20世紀における共産主義の誕生と終焉』(飛鳥新社, 1990年)
- (ヒュー・ディ・サンティス)『進歩を超えて――相互主義論序説』(文藝春秋, 1997年)
[編集] 共同監修
- (日本国際フォーラム)『日本のアイデンティティ――西洋でも東洋でもない日本』(フォレスト出版, 1999年)
- (日本国際フォーラム)『21世紀日本の大戦略――島国から海洋国家へ』(フォレスト出版, 2000年)
- (日本国際フォーラム)『現代予防外交論――冷戦後世界のキーワード』(フォレスト出版, 2000年)
- (日本国際フォーラム)『海洋国家日本の構想――世界秩序と地域秩序』 (フォレスト出版, 2001年)
- (田中明彦)『東アジア共同体と日本の針路』(日本放送出版協会, 2005年)