佐世元嘉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐世 元嘉(させ もとよし 1546年(天文15年) - 1620年(元和6年))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。尼子氏・毛利氏の家臣。石見守と称す。佐世清宗の子。兄に佐世正勝。子に佐世正景・佐世正量。
父と共に尼子晴久・尼子義久に仕えていたが、1566年の毛利元就による月山富田城攻撃の際に、父と共に毛利氏に降伏。その家臣となった。
尼子氏旧臣であったものの、元就や毛利輝元には譜代家臣との区別無く重用された。
1592年からの豊臣秀吉の朝鮮出兵では、輝元が肥前名護屋に滞陣している間は、留守となっている毛利領の政治を任されている。