佐竹義純
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佐竹 義純(さたけ よしずみ、享和2年(1802年) - 安政3年11月26日(1856年12月23日))は、出羽秋田新田藩(岩崎藩)の第6代藩主。3代藩主・佐竹義忠の長男・佐竹義恭(よしゆき)の長男。幼名は政之助。官位は従五位下壱岐守。
祖父は義忠、父は義恭で秋田新田藩主佐竹家の一門である。後継者に恵まれなかった5代秋田新田藩主・佐竹義知の養子になる。文政4年(1821年)9月16日、養父・義知の死去により、家督を相続した。同年9月23日将軍徳川家斉に御目見する。同年12月16日従五位下壱岐守に叙任する。若年の本家当主・佐竹義厚をよく補佐したと言われている。嘉永2年(1849年)10月26日、養嗣子の佐竹義核に家督を譲って隠居した。安政3年(1856年)11月26日、死去した。享年55。法号:義純仁沢。墓所:東京都板橋区小豆沢の総泉寺。
正室は佐竹義知の三女貞。子は義核正室ら二女あり。
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