依田郁子
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依田郁子(よだ いくこ、1938年8月30日 - 1983年10月14日)は、日本の陸上競技選手。元女子80mハードル日本記録保持者。長野県出身。長野県上田染谷丘高等学校卒業。結婚後の姓名は宮丸郁子(みやまる いくこ)。
小学校のときから俊足の誉れ高く、将来を期待された。1950年代後半から60年代にかけて一世を風靡した。暁の超特急・吉岡隆徳の先駆的な指導もあって世界的な実力を持った。1964年、東京オリンピック代表に選出された。メダルも期待されたが、調子を合わせきれず、5位入賞に留まった。なお、日本の女子陸上競技史上、スプリント種目での入賞はこの時の依田のみである。引退後は後進の指導に当たっていたが、人間関係のもつれから首を吊って自殺した。
[編集] スタート時の”奇行”
依田はスタートする前に独特の"儀式"を必ず行うことで知られていた。サロメチールを全身に塗りたくる、唾を手に吐き、これも全身に塗りたくる、前転を行う、など、ともすれば奇行とも思えるような行動であるが、依田はこれらの行動により、集中力を高めていたのである