東京オリンピック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第18回オリンピアード競技大会 Games of the XVIII Olympiad |
|
---|---|
1964 solympics logo.gif |
|
開催都市 | 日本・東京 |
参加国・地域数 | 93 |
参加人数 | 5133(男:4457、女:683) |
競技種目数 | 20競技163種目 |
開会式 | 1964年10月10日 詳細 |
閉会式 | 1964年10月24日 詳細 |
開会宣言 | 昭和天皇 |
選手宣誓 | 小野喬 |
最終聖火ランナー | 坂井義則 |
主競技場 | 国立競技場 |
東京オリンピック(とうきょうオリンピック Games of the XVIII Olympiad Tokyo 1964)は、1964年に開かれた第18回夏季オリンピックであり、アジア初のオリンピック。歴史的に見ると、第二次世界大戦後の荒廃から立ち直り、復興を遂げた日本が取り組んだ国家的イベントであり、日本が国際社会に復帰するシンボルの意味を持った。開会式が10月10日、閉会式は、10月24日であった。組織委員長は安川第五郎。
開会式のあった10月10日は、1966年から、国民の祝日体育の日として親しまれてきた(2000年からは10月の第2月曜日が体育の日)。
目次 |
[編集] 大会開催までの経緯
1960年のオリンピック開催地投票で、ローマに敗れて以降、1964年大会に立候補し、1959年に行われたIOC総会で、開催地に選ばれた。
1964年夏季オリンピック 開催地投票 | |||||
---|---|---|---|---|---|
都市 | 国 | 1回目 | |||
東京都 | 日本 | 34 | |||
デトロイト | アメリカ合衆国 | 10 | |||
ウィーン | オーストリア | 9 | |||
ブリュッセル | ベルギー | 5 |
開催の決定した日本では東京オリンピック組織委員会が組織され、国家予算として国立競技場をはじめとした施設整備に約164億円、大会運営費94億円、選手強化費用23億円を計上した国家プロジェクトとなった。
[編集] ハイライト
- 開会式
- 女子バレーボール:東洋の魔女(全日本女子バレーボールチーム)
- マラソン:円谷幸吉の活躍(第3位)。アベベの優勝(連覇)。
- 柔道:正式種目となる。無差別級でヘーシングに押えこまれる神永。
- レスリング
- 重量あげ
- サッカー
[編集] 実施競技
各競技の詳細については、それぞれの競技のリンク先を参照のこと。
|
[編集] 公開競技
- 野球
[編集] 各国の獲得メダル
東京オリンピック 国・地域別メダル受賞数 |
|||||
---|---|---|---|---|---|
位 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 計 |
1 | アメリカ | 36 | 26 | 28 | 90 |
2 | ソビエト連邦# | 30 | 31 | 35 | 96 |
3 | 日本 | 16 | 5 | 8 | 29 |
4 | 東西ドイツ統一チーム | 10 | 22 | 18 | 50 |
5 | イタリア | 10 | 10 | 7 | 27 |
6 | ハンガリー | 10 | 7 | 5 | 22 |
7 | ポーランド | 7 | 6 | 10 | 23 |
8 | オーストラリア | 6 | 2 | 10 | 18 |
9 | チェコスロバキア# | 5 | 6 | 3 | 14 |
10 | イギリス | 4 | 12 | 2 | 18 |
#は当時の国および国名。
[編集] 主なメダリスト
- 金メダル
- ボブ・ヘイズ(アメリカ、陸上競技男子100m、4×100mリレー)
- ピーター・スネル(ニュージーランド、陸上競技男子800m)
- ピーター・スネル(ニュージーランド、陸上競技男子1500m)
- ビリー・ミルズ(アメリカ、陸上競技男子10000m)
- アベベ・ビキラ(エチオピア、陸上競技男子マラソン)
- アル・オーター(アメリカ合衆国、陸上競技男子円盤投げ)
- ベティ・カスバート(オーストラリア、陸上競技女子400m)
- マリー・ランド(イギリス、陸上競技女子走り幅跳び)
- ヨランダ・バラシュ(ルーマニア、陸上競技女子走り高跳び)
- アメリカ(陸上競技男子4×100リレー)
- ポーランド(陸上競技女子4×100リレー)
- ドン・ショランダー(アメリカ、競泳男子100m自由形)
- ドン・ショランダー(アメリカ、競泳男子400m自由形)
- アメリカ(競泳男子4×100mリレー)
- アメリカ(競泳男子4×200mリレー)
- ドーン・フレーザー(オーストラリア、競泳女子100m自由形)
- ヴァチェスラフ・イワーノフ(ソビエト連邦、ボート男子シングルスカル)
- ボリス・シャハリン(ソビエト連邦、体操鉄棒)
- ベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア、体操女子平均台)
- ベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア、体操女子平均台)
- ベラ・チャスラフスカ(チェコスロバキア、体操女子跳馬)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子ゆか)
- ソビエト連邦(体操女子団体)
- ドイツ(馬術馬場馬術団体)
- アントン・ヘーシンク(オランダ、柔道男子無差別級)
- ジョー・フレージャー(アメリカ、ボクシング・ヘビー級、後にプロボクシングで世界ヘビー級王者)
- 銀メダル
- モハメド・ガムーディ(チュニジア、陸上競技男子10000m)
- ベイジル・ヒートリー(イギリス、陸上競技男子マラソン)
- イレーナ・シェビンスカ(ポーランド、陸上競技女子200m)
- イレーナ・シェビンスカ(ポーランド、陸上競技女子走り幅跳び)
- マリー・ランド(イギリス、陸上競技女子五種競技)
- オーストラリア(競泳女子4×100mリレー)
- ボリス・シャハリン(ソビエト連邦、体操男子個人総合)
- ソビエト連邦(体操男子団体)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子個人総合)
- ラリサ・ラチニナ(ソビエト連邦、体操女子跳馬)
- 銅メダル
[編集] 日本人メダリスト
- 金メダル
- 桜井孝雄(ボクシングバンタム級)
- 三宅義信(ウエイトリフティングフェザー級)
- 市口政光(レスリンググレコローマンバンタム級)
- 花原勉(レスリンググレコローマンフライ級)
- 上武洋次郎(レスリングフリースタイルバンタム級)
- 渡辺長武(レスリングフリースタイルフェザー級)
- 吉田義勝(レスリングフリースタイルフライ級)
- 中谷雄英(柔道軽量級)
- 猪熊功(柔道重量級)
- 岡野功(柔道中量級)
- 早田卓次(体操男子つり輪)
- 山下治広(体操男子跳馬)
- 遠藤幸雄(体操男子平行棒)
- 遠藤幸雄(体操男子個人総合)
- 遠藤幸雄・小野喬・鶴見修治・早田卓次・三栗崇・山下治広(体操男子団体総合)
- 磯辺サダ・河西昌枝・近藤雅子・佐々木節子・篠崎洋子・渋木綾乃・谷田絹子・半田百合子・藤本佑子・松村勝美・松村好子・宮本恵美子(バレーボール女子)
- 銅メダル
[編集] 戦後復興の象徴として
この東京オリンピックの開催にむけて、種々の建設・整備がなされた。
[編集] 競技場等の施設
- 国立競技場(国立霞ヶ丘陸上競技場、秩父宮ラグビー場、国立代々木競技場、国立西が丘サッカー場)
- 日本武道館
- 駒沢オリンピック公園
- 岸記念体育会館
[編集] 交通機関・道路等のインフラ
[編集] 世界最初の「テレビ・オリンピック」
東京オリンピックは、オリンピックのテレビ中継技術が格段に向上した事を印象づける大会となった。衛星放送技術を始め、カラーカメラ・超小型カメラの開発などもその特徴である。
日本では1959年のミッチー・ブーム以降テレビ受像機の普及が急速に進んでいたが、東京オリンピックをきっかけに白黒テレビはもちろん、当時非常に高価だったカラーテレビの普及が促進される事となった。
[編集] 聖火
- 1964年8月21日にギリシャのオリンピア・ヘラ神殿で採火式が行われた。その後、ビルマ(現ミャンマー)、マレーシア、タイ、フィリピン、台湾、沖縄(当時はアメリカ合衆国領)など、第二次世界大戦で日本軍が戦場として戦った地域を通り、平和のための聖火リレーを印象づけた。本土では鹿児島市、宮崎市、千歳市の3カ所からスタートしリレーされた。
- この聖火の輸送には国産旅客機として名高いYS-11が使用された。ちなみにその時の機体には「聖火号」と名づけられ、その後も聖火輸送を記念して全日空のYSには「オリンピア」の愛称が付けられていた。
- 聖火リレーには、三遊亭小遊三もランナーとして参加・力走している。
- 聖火の最終ランナーは、1945年8月6日、広島県三次市で生まれた19歳の陸上選手・坂井義則(元フジテレビ社員)であった。原爆投下の日に広島に程近い場所で生を享けた若者が、青空の下、聖火台への163段の階段を駆け上る姿は、まさに日本復興の象徴であった。
[編集] その他
- 会期中に使用された選手村は、1965年以降国立オリンピック記念青少年総合センターとして利用されている。
- ヨット競技は神奈川県江ノ島で、カヌー競技は神奈川県相模湖町(現在の相模原市)で、ボート競技は埼玉県戸田市の戸田漕艇場で、馬術は長野県軽井沢町で行われた。
- 東京オリンピックの開催期間には、他にも国際的事件が次々と起こった(1964年10月14日のフルシチョフ解任、10月16日の中国初の核実験など)。これにより、世界の注目を奪われた面もあると考えられる一方、激動の世界情勢を反映する場として注視の的になるという面もあったようである。ともあれ、この大会は第二次世界大戦後の「日本の復興」を象徴するのみならず、これらの事件と共に世界史の一つの転換点を形作るものだったと言える。
- 開会式ではブルーインパルスのF-86が上空で五輪のマークを描いた事で話題を呼んだ。
- 古賀政男作曲のテーマソング「東京五輪音頭」は三波春夫(テイチク)の歌で爆発的にヒットしたが、三橋美智也(キング)、北島三郎と畠山みどりによるデュエット(日本コロムビア)、坂本九(東芝)ら他レコード会社専属歌手との競作の1つである。この日本歌謡史上空前の大競作は橋幸夫(ビクター)が大本命とされていたが、蓋を開けると三波の一人勝ちであった。
- 史上初の3人乗り宇宙船であるソ連のボスホート1号(1964年10月12日打ち上げ、10月13日帰還)は東京上空を飛行するにあたり、オリンピックに参加する「世界の青年に熱烈なあいさつを」送った。
- キング牧師のノーベル平和賞受賞が決定したのも、会期中の10月14日の事である(実際の受賞は12月10日)。
- 英領北ローデシアは閉会式の日にあたる1964年10月24日(日本時間では同日午前7時)にザンビアとして独立したため、開会式と閉会式とで異なる国名となった。選手村の国旗なども同日をもって新国旗に付け替えられた。
- 折からガンで入院していた池田勇人首相は、10月10日の開会式には参加したが、閉会式翌日の10月25日に退陣を発表した。
- 日本のお家芸と言われた男子体操団体は、ローマ大会に続いて2連覇を果たしたが、前回のローマ大会と東京大会に限って団体総合では1つしかメダルが授与されていない。東京大会では女子も団体で銅メダルを獲得したが、1個のみである。他の団体競技では選手全員にメダルが授与されているので、このようなケースは珍しい[1]。
- 閉会式は誘導のトラブルから国別の整然とした行進にならなかったが、そのために却って、各国の選手が入り混じり腕や肩を組み合って入場する感動的なものとなった。
- 案内や誘導、競技種目表示においてピクトグラムが採用されたのは東京オリンピックが最初である。制作にはアートディレクターを務めた勝見勝を中心に30名ほどのデザイナーが携わった。競技種目ピクトグラムを制作したのは山下芳郎1人だけである。
- 大会後の日本における祝勝会にはメダル取得者が呼ばれていたが、男子バレーボールチームはメダルを取ったにも関わらず、連絡ミスにより参加しなかった。
- 公募で決まった公式標語は「世界は一つ東京オリンピック」。名古屋の中学生の作品。
- ^ 2006年10月19日、国際オリンピック委員会ロゲ会長が来日レセプションの会場にて、東京五輪日本代表男子チーム・女子チームの選手全員に対して「シンボル・オブ・リコグニッション」を贈呈。
[編集] 記録映画
市川崑が総監督を務めて制作された『東京オリンピック』。日本国内での配給収入は12億2321万円を記録。アスリートの心情の表現を重視した演出や、超望遠レンズをはじめとする複数のカメラを使った多角的な描写など、ベルリン大会の『オリンピア』に次ぐ傑作という評価も多い。しかし、オリンピック担当大臣だった河野一郎は記録性に欠けるとの理由で本作を批判し、「記録か芸術か」という議論を呼び起こすことになった。このときの騒動について市川は「要するに河野さんは、馬とかマラソンにうんちくのある方だったんですが、その辺の競技を映画で見たかったのにそれが十分入っていないのが気に食わなかった。作品を全面否定されたわけでも何でもないんです。今から言えば笑い話ですがね」と後のインタビューで語っている(出典:1985年8月27日『朝日新聞』)。
その影響もあってか、組織委員会は英語版で再編集を施し、上映時間は日本語版より40分短い。一方市川自身もオリンピック開催40周年を記念して発売されたDVDにディレクターズカットともいえる再編集版を収録している。カンヌ国際映画祭国際批評家賞受賞。また、映画館以外でも日本各地で上映会が開かれたことから、観客動員数は事実上日本映画史上最多であるといわれている。
[編集] スタッフ
- 監督:市川崑
- 音楽:黛敏郎(黛は開会式冒頭のテープ音楽『オリンピック・カンパノロジー』の作曲も担当した)
- 脚本:市川崑、和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎
- 撮影:宮川一夫、林田重男、中村謹司、田中正
- ナレーター:三國一朗
[編集] 記念発行物
- 記念切手
- 記念貨幣
[編集] 2016年 東京オリンピック招致運動
2005年、東京都の石原慎太郎知事は、2016年の夏季オリンピック開催地に立候補する意向を表明した。東京オリンピック構想を参照。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|||||
---|---|---|---|---|---|
オリンピック競技 • メダル獲得数 • NOCコード メダリスト • シンボル |
|||||
夏季オリンピック:1896, 1900, 1904, 1906¹, 1908, 1912, (1916)², 1920, 1924, 1928, 1932, 1936, (1940)², (1944)², 1948, 1952, 1956, 1960, 1964, 1968, 1972, 1976, 1980, 1984, 1988, 1992, 1996, 2000, 2004, 2008, 2012, 2016, 2020 | |||||
冬季オリンピック:1924, 1928, 1932, 1936, (1940)², (1944)², 1948, 1952, 1956, 1960, 1964, 1968, 1972, 1976, 1980, 1984, 1988, 1992, 1994, 1998, 2002, 2006, 2010, 2014, 2018 | |||||
¹IOC非公認大会 ²戦争のため中止 |