全日空機鹿児島空港オーバーラン事故
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全日空機鹿児島空港オーバーラン事故(ぜんにっくうきかごしまくうこうおーばーらんじこ)とは、1966年(昭和41年)に発生した航空事故であるが、幸運が重なり軽微な損傷ですんだ。
[編集] 事故の概略
1966年9月18日、全日空のフォッカーF-27フレンドシップ双発ターボプロップ旅客機が板付飛行場(福岡空港)から午前7時55分に離陸し鹿児島へ飛行していた。同機は前日九州南部を襲っていた台風21号を避けるため待機しており、午前9時10分に出発する鹿児島発宮崎経由大阪行きの定期便に就航するため回送中であった。
同機は午前8時45分に旧鹿児島空港(鹿児島市鴨池、1972年に新空港が開港したため廃止)に着陸しようとしたが、当時は激しい雨が降っており、視界も9.6Kmぐらいであった。回送便は1200m滑走路の真中600mに接地し停止しようとしたが止まりきれずオーバーランし滑走路を逸脱、滑走路の北側の50m先の海中に突っ込んでしまった。事故当時は干潮で水深2mぐらいであったため浮かんだようになったが、満潮時に機体の半分が水没し機体が破損した。回送便だったため乗客および客室乗務員は搭乗していなかったため、機長(当時41歳)と副操縦士(当時26歳)のうち1名が軽傷であった。
この事故のため鹿児島空港は午前11時まで閉鎖され上下9便が欠航した。また、機体も夕方に大型クレーンで収容され格納庫に運ばれたが、機首が破損しただけであり、修理後再就航できたという。
[編集] 事故原因
フレンドシップの最小着陸滑走距離は570mであり、同機のように乗客がいない場合には400mぐらいで止まるはずであった。そのため、オーバーランしたのは滑走路が雨でぬれていたため制動が利かず、そのうえ残された滑走路も少なかったためであったといえる。
当時の鹿児島空港は市街地に近い海岸にある空港で、利便性が高かった反面、滑走路が1200mと短く、レーダーが整備されていなかった。夏場は気温が高いためエンジンの出力が低下して飛行性能が悪くなる上に、空港の傍に体育館があるうえ、桜島が近くにあるため気流が複雑であるなど離発着する操縦者にとって操縦が難しい空港であった。
そのため、同空港は拡張が事実上不可能なため、新空港が開港すると廃止された。
[編集] 参考文献
- 朝日新聞 [1966年9月19日紙面