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八重姫(やえひめ、元禄3年(1690年) - 延享3年6月17日(1746年8月3日))は、徳川吉孚の正室。鷹司輔信の娘。鷹司房輔・徳川綱吉の養女。院号名は養仙院。
初め鷹司房輔の養女だったが、後に徳川綱吉の養女となる。元禄10年(1697年)、綱吉の養女として常陸水戸藩主である徳川綱条の世子・吉孚の正室として嫁ぐ。宝永6年(1709年)、吉孚の没後に落飾して養仙院殿と号する。
延享3年(1746年)、57歳で死去。寛永寺に葬られる。法名は随性院霊応妙感大姉。