内蔵寮
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内蔵寮(くらりょう)は律令制において中務省に属した機関。和訓は「うちのくらのつかさ」。唐名は「倉」部。
[編集] 概要
内蔵寮の起源は律令制以前の三蔵(大蔵・内蔵・斎蔵)の一つである内蔵にさかのぼる。内蔵は履中天皇の時代に遡るとも言われ、天皇家の財宝を管理する倉庫で律令施行後も中務省の一機関として存続した。
内蔵寮の職掌は大蔵省より宮廷運営のために送付された金銀絹などをはじめとする天皇家の財産管理・宝物の保管・官人への下賜・調達など天皇家関係の出納事務である。また、自らも官営工房として装飾品などを製造していた。そのため、非常に重用され、律令制が機能しなくなって以後も蔵人所の管轄下で一定の存在意義をもって活動していた。国家の出納事務を行う大蔵省や官営工房の中核である内匠寮と重複する部分も多く官制は度々変化した。
律令制の衰退によって朝廷自体が天皇家の家政機関としての色彩を強めてくると、内蔵頭には蔵人頭や弁官・近衛中将・少将を歴任した四位の殿上人が就任するのが慣例となり、更に院政期には財力を有する有力な受領に移り、室町時代初期には山科家の当主が御厨子所別当を兼務して就任するようになると、以後同家の事実上の世襲となった。
なお、明治維新の官制改革で一旦は廃止されたものの、伊藤博文が進めた「宮中と政府の分離」方針に則って、1884年に宮内省に属する機関として復活し、1947年の同省廃止まで存続した。なお、現在では宮内庁長官官房(皇室経済主管及び主計課・用度課)がその職務を引き継いでいる。
[編集] 職員
- 頭(従五位下→従五位上相当)
- 助(従六位上→正六位下相当)
- 允(従七位上相当) 後に大允(正七位下相当)・少允(従七位上相当)
- 大属(従八位下相当) 少属(大初位上相当)
- 史生 新設
- 寮掌 新設
- 使部
- 直丁
- 大・少主鑰 鍵の管理・大蔵省に同じ官があり機能しなかった
- 蔵部 倉庫の出納を行う伴部
- 価長 適正物価の調査を行う伴部
- 典革(正八位上相当) 革の染め作りを監督 狛部・狛戸とともに大蔵省から大同元年(806年)内蔵寮に移管、のちに廃止
- 狛部 革の染め作りをする伴部
- 狛戸 革の染め作りをする品部
- 典履(正八位上) 革製品製造を監督
- 百済手部 革製品を製造する伴部
- 百済戸 革製品を製造する品部
- 雑色作手