前田重教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田 重教(まえだ しげみち、1741年11月30日(寛保元年10月23日) - 1786年7月7日(天明6年6月12日))は、加賀藩の第10代藩主。父は第6代藩主・前田吉徳(重教は七男)。母は吉徳の側室・流瀬。第7代藩主・前田宗辰、第8代藩主・前田重煕、第9代藩主・前田重靖の異母弟。正室は徳川宗将の娘・寿光院。子に斉敬、斉広、頴(松平容詮室)、藤(松平頼儀室)。官位は正四位下、肥前守、左近衛権中将。
寛保元年(1741年)10月23日生まれ。宝暦3年(1753年)、異母兄・重靖の早世により後を継いで藩主となった。この頃の加賀藩では加賀騒動の余波が続き、宝暦4年(1754年)まで保守派による大槻伝蔵一派の粛清が続いた。重教は加賀狂言などの能狂言の普及に努めた。明和8年(1771年)、家督を異母弟の前田治脩に譲って隠居し、天明6年(1786年)に46歳で死去した。
石川県金沢市にある全性寺(日蓮宗の寺)には、重教の生母が安産祈願のために寄進した不動明王が祭られている。
|
|
|