徳川宗将
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徳川 宗将(とくがわ むねのぶ、1720年4月6日(享保5年2月29日)-1765年4月14日(明和2年2月25日))は、紀伊国紀州藩の第7代藩主。父は第6代藩主・徳川宗直(宗将は長男)。母は服部氏(永隆院)。正室は富宮(伏見宮貞建親王の養女)。子に徳川重倫(次男)、内藤学文(四男)、松平頼興(五男)、松平頼謙(六男)、松平忠功(七男)、三浦為脩(八男)、松平忠和(九男)、安藤道紀(十男)、阿部正由(十一男)、千間姫(長女、前田重教室)、琴姫(次女、池田重寛婚約者)、致姫(三女、松平重富室)、従姫(五女、徳川治行室)らがいる。
享保5年(1720年)2月晦日、江戸青山御殿にて生まれる。幼名は直松。宝暦2年(1752年)、父の死去により家督を継ぐ。あまり藩政に見るところも無く明和2年(1765年)2月25日、江戸赤坂の紀州藩邸にて死去した。享年46。紀州長保寺に埋葬された。家督は次男の徳川重倫が継いだ。
[編集] 官職位階履歴
- 1720年(享保5)2月29日、誕生。幼名:直松
- 1729年(享保14)閏9月28日、元服し、将軍徳川吉宗の諱を一字賜り、宗将と名乗る。従四位下常陸介に叙任。
- 1731年(享保16)11月15日、従三位に昇叙し、右近衛権中将に転任。
- 1742年(寛保元)8月7日、参議に補任。
- 1757年(宝暦7)8月7日、家督相続し、藩主となる。 12月1日、権中納言に転任。
- 1765年(明和2)2月25日、薨去。 法名:菩提心院殿三品前黄門和願愍生
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