加賀爪直澄
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加賀爪直澄(かがつめ なおずみ、慶長15年(1610年) - 貞享2年10月3日(1685年10月30日))は加賀爪忠澄の子。江戸時代の大名。武蔵国高坂館主。姓は加々爪とも表記する。通称、甚十郎。正室は伊奈忠政の娘。
乱暴旗本の旗本奴として有名で、江戸の町で「夜更けに通るは何者か、加賀爪甲斐か泥棒か」と恐れられたが、書院隊長・大助番頭・寺社奉行などの要職を歴任し、この功績が認められ最終的には1万3000石に加増されて大名となった。延宝7年(1679年)に養子の加賀爪直清に家督を譲る。しかし、直清が成瀬正章と領地問題で争いを起こした責任が問われ、天和元年(1681年)に土佐に配流となった。
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