北海道函館中部高等学校
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北海道函館中部高等学校(ほっかいどうはこだてちゅうぶこうとうがっこう)は、北海道函館市時任町にある道立高等学校。
北海道函館中部高等学校 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 北海道 |
学校長 | 古林 由則 |
創立記念日 | 1895年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 定時制課程 通信制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科 |
高校コード | 01132 |
所在地 | 〒040-0012 |
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電話番号 | 0138-52-0303 |
外部リンク | 公式サイト |
目次 |
[編集] 概要
渡島支庁管内有数の進学校であり、同管内の公立高校の中では最難関である。また、北海道内で最初に開校した普通科高等学校である。 同年には北海道札幌南高等学校も開校しているが、発足された日から考えて中部高校が最初といってよい。
[編集] 沿革
- 1895年4月1日 函館尋常中学校として創設される。
- 1899年 中学校令の改正により函館中学校と改称する。
- 1901年 北海道庁立函館中学校となる。
- 1948年 新学制実施にともない北海道立函館高等学校として発足する。
- 1950年 北海道函館中部高等学校として再発足、男女共学化する。
- 1972年 制服廃止。服装が自由化する。
- 1995年 創立100周年。
- 2005年 創立110周年記念式典が敢行される。
[編集] 耐久レース
毎年5月に森町のグリンピア大沼で開催されるレースのこと。名前は耐久レースとなっているが、実際にはただのマラソンである。過去に死者が出たこともある。 女子と男子で走る距離が違う。 また、新1年生が最初に出会う学校行事でもある。 やる気のある生徒の間では盛り上がるレースである。また、各部活Tシャツを着たりして、団結して走る様子も見られる。 マラソンをやりきったあとは、各クラスごとにバーべキューをしたりなどして楽しむ自由時間となる。過去に、木炭の不始末により小火騒ぎが起きたこともある。
[編集] 白楊祭
毎年7月に行われる白楊祭。函中で一番盛り上がる行事である。3日間続く。1日目には"パフォーマンス"というものがあり、千代台陸上競技場にて実施される。各クラスで選曲した音楽にあったダンスを考え、それを中心にしたパフォーマンスを3分間使って発表する。1日目はこれだけで終わる。かつてはパフォーマンスの前に学校周辺で仮装パレードが行われていたが、道路の一部を利用し交通規制をすることが年々難しくなり、1996年を最後に中止された。 その後は、2日目に各著名人を招いて行われる講演をはじめ、模擬店や各クラスの発表、吹奏楽局の演奏、有志やLMC(軽音楽部)による発表などがある。また、生徒の投票により有志とLMCの中から上位3グループが3日目に行われる後夜祭で演奏できる団体が選ばれる。 後夜祭では、LMCの発表のほかにその年の生徒会が企画したお楽しみ企画と花火がある。
[編集] 校内の体育系行事
耐久レースのほかに、8月には校内水泳大会、9月下旬には2日間にわたって校内体育大会、11月初旬には柔道大会が行われる。
[編集] 白楊会館
白楊会館と呼ばれて親しまれている函中100年記念会館というものがある。毎年夏になると抽選になるほど、合宿用の宿としての利用率が高い。
[編集] 函館中部の略称
函館中部高校は一般的に教官・生徒達の間では『函中』と呼ばれており、これは前身となった函館中学校時代の呼び名の名残であるが、学校関係者以外この略称の知名度は低い。 このため、函館市内やその周辺地域の住民も『中部』と言われれば誰でもわかるが、『函中』という表現ではわからない人も多く、 「函館中学校」だと誤解されることもある(北海道教育大学附属函館中学校という学校も存在する)。 近年『函中』と呼ぶ生徒は、ごく少数である。
[編集] 著名な出身者
- 亀井勝一郎(評論家)
- 今日出海(作家)
- 木田三千雄(俳優)
- 五島勉(作家)
- 田中清玄(戦前に共産党書記長から天皇主義者に転向し、戦後は政財界に大きな影響力があった)
- 長谷川海太郎(作家)
- 長谷川四郎(作家)
- 早坂茂三(評論家)
- 久生十蘭(作家)
- 佐藤宣践(柔道選手・コーチ、世界柔道選手権優勝)
- 山本直樹(漫画家)
- 二上達也(棋士)
- 小林正寛(俳優、GTOなど数多くの作品に出演)
- 水谷準(作家、編集者)
- 南俊明 (教師・作曲家、吹奏楽コンクールの課題曲などを作曲し活躍している)