南部利済
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南部 利済(なんぶ としただ、寛政9年8月29日(1797年10月18日) - 安政2年4月14日(1855年5月29日)は、陸奥国盛岡藩の12代藩主。廃嫡された南部利謹(8代盛岡藩主南部利雄長男)の次男。官位は従四位下、信濃守。
文政8年(1825年)に藩主に就任。弘化4年(1847年)、長男の南部利義に家督を譲り隠居した。安政2年(1855年)死去。
正室は10代藩主南部利敬の養女(松平輝延の娘)、継室は楢山隆翼の娘。子は、長男・南部利義(13代藩主)、三男・南部利剛(14代藩主)、四男・南部謹詳(2代七戸藩主・南部信誉養子)、五男・南部信民、六男・南部剛弘など。
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