原澄治
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原澄治(はらすみじ、1878年-1968年、現在の岡山県倉敷市藤戸町の生まれ)は、倉敷紡績(現在のクラボウ)専務、中国民報社(現在の山陽新聞社)役員で実業家。大原孫三郎の右腕として実業界で活躍したほか、倉敷町長も歴任した。倉敷市名誉市民。
1926年(大正15年)、日本初の民間天文台、倉敷天文台を私財を投じて設立した。イギリスから輸入した中古の32cm反射望遠鏡(市指定重要文化財)が設置されたが、これは当時、国内最大級だった。また、日本の既設の天文台はすべて官営であり、限られた研究者しか使えなかったが、倉敷天文台は利用者の所属を問わない、いわば公開天文台であった。
倉敷天文台では、アマチュア天文家の本田実が活躍し、彗星をはじめとした多くの天体を発見した。
[編集] 関連項目
- 星島二郎 - 弁護士で自由党所属の国会議員。サンフランシスコ講和会議の全権委員だった。原澄治とは本家と分家の関係。