呉学謙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呉学謙(ごがくけん、Wu Xueqian、1921年12月19日 - )は、上海市生まれの中華人民共和国の政治家、外交官。副総理、外交部などを努めた。
曁南大学外文学部中退39年中国共産党入党。新中国成立以前は、上海で喬石、銭其シン、薛駒(中央党校副校長)、銭李仁、朱良(ともに中央連絡部部長)、徐維誠(中央宣伝部副部長)らと学生運動を指導していた。
建国後の49年から共産主義青年団中央国際聯絡部副部長、部長。58年中共中央対外聯絡部局長。文革で失脚したが74年に同職で復活。78年外交部副部長。82年4月外交部第一副部長などを歴任。
8月、文部省の検定で歴史教科書の記述を「侵略」から「進出」に書き換えさせたという誤報を契機として、中国で問題視され外交問題となると、日本大使と会見し歴史教科書の歪曲を見直すよう日本政府に要求した。
11月外交部長就任。83年6月国務委員兼任。88年外相を辞任し外交担当の副総理に昇格。90年11月、中国政府代表として今上天皇即位の礼に出席。93年全国政治協商会議副主席、国際交流協会会長。98年3月政協副主席を退任し引退。
中共第12、13期中央委員。12期五中全会で政治局委員昇格。13期中央政治局委員。
|
|