黄華
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黄華(こうか、Huang Hua、1913年1月25日 - )は、河北省磁県生まれの中華人民共和国の政治家、外交官。副総理、国務委員、外相などを努めた。
燕京大学中退。35年、12・9運動に参加。36年中国共産党入党。延安ではエドガー・スノー、アグネス・スメドレーらの翻訳を担当。41年から朱徳の秘書を務めるかたわら外交にも従事する。46年に葉剣英の秘書。49年、国民党外交部の接収を指揮。53年、朝鮮戦争停戦交渉の中国側代表、外交部西ヨーロッパアフリカ局局長。54年のジュネーブ協定、55年のバンドン会議に代表団顧問、報道官として出席。
60年から71年までガーナ、エジプト、カナダ大使を歴任。71年、訪中したヘンリー・キッシンジャー米大統領補佐官との交渉を担当。中国初めての国連大使に就任。76年、解任された喬冠華に代わって外相に就任、国務委員兼任。78年、日本の園田直外相と日中平和友好条約に調印、アメリカとの国交正常化も担当した。同年の鄧小平訪日、79年の訪米に随行。
80年副総理、83年、第6期全人代副委員長選出。以降も全人代の代表団を率い各国を訪問し、92年の日中国交正常化20周年記念には団長として再び来日。
中共第11期から13期まで中央委員、第13期中央顧問委員会常務委員。
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