因果律
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[編集] 物質的観点からの概論
因果律は、その要素、大前提として、時間がある(時間、過去、現在、未来参照)。近世になり、機械論的な世界観が出現してからは、次第に「決定論」の問題が論じられるようになった。決定論的なものの見方とも関係するが、因果律は、心の哲学の領域でも論じられることがあり、具体的には「自由意志」の概念を論ずるときには、因果律との(見かけ上の)対立が問題とされる場合がある。
20世紀前半には、アルベルト・アインシュタインが相対性理論において、因果律と同時性の関係に、新しいパラダイムを提供した。「決定論」については、20世紀における確率論、統計学、量子力学の発展によって見直されてゆくことになった。
因果律は、SFの分野では好んで扱われるテーマであり、タイムマシンが作れない可能性があるといわれるのは、大抵はこの因果律を根拠にしている。
[編集] 生命の実相としての因果律
生命の世界では未来が現在に影響を及ぼしている。 思慮深い者ならば誰でも良く理解していることであるが、人間は未来を踏まえて現在の行動を刻々と変えている。例えば学生は未来を見据えて現在学ぶものを選ぶ。経営者は未来を洞察し、未来に対処すべく現在の経営戦術を変更する。また、将来の家庭像を予想して相手を選ぶ男女も多い。高度な生命体は未来によって現在の行動を変化させているのである。 この世界が多層的に構成されていることを深く理解するならば、「物理層」とでも呼ぶことができるであろう単純な層とは異なる、"未来が過去の原因となっている"とでも表現すべき層が存在していることはおのずと明らかである。
[編集] 仏教的な観点
仏教は、因果律について、実人生において有用な、重要なことを教えてくれている。
[編集] 法華経
法華経においては、因と果は、「相・性・体・力・作・因・縁・果・報」のうちの二つ。
[編集] 因果具時(いんがぐじ)
「過去の因を知らんと欲せば、その現在の果を見よ。 未来の果を知らんと欲せば、その現在の因を見よ。」(『開目抄』)
自分が今幸せなら幸せになる因果を積み重ねてきた。不幸せならば不幸の因果を積み重ねてきた。過去の自分の一分一秒が今現在の自分を作っている。現在の自分の有様を他人のせいにしつづけているのは止めて、過去の自分自身が最大の原因だと気付き、自ら反省し、今から自分の心のあり方や発言や行動を変えてゆくことが大切である、ということ。 今から、自分の考え方、発言、行動を変えれば、自分の未来を変えてゆけるのである。こう気付いた段階で、人は<過去の出来事→現在の反射行動>の延々とつづく恨みがましい思考と行動の悪循環から脱出することができ、さらに成長すれば、良き未来へとつながる思い・発言・行動を積極的に選択することができるようになってゆく。