団野村
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団 野村/ダン・野村(だん のむら、1957年5月17日 - )は、野球界における交渉代理人(エージェント)。母は野村沙知代。野村克則は異父弟。実父は米国人。母の再婚相手である野村克也は継父で、実父ではない。日本名は野村 克明(のむら かつあき)であるが、殆どこの名前を明かすことはなく、母親である野村沙知代、弟のケニー野村とは絶縁している。
[編集] 来歴・人物
キャンプ座間内の高校を経てカリフォルニア工芸大学に進学するも2年で中退。
1978年、ヤクルトスワローズのテスト生として入団。ポジションは内野手。1978年に「伊東克明」(伊東は母・沙知代の旧姓)、1979年から1980年まで「野村克晃」の名前で選手登録していたが、一度も1軍に上がることなく退団。
その後、渡米。エージェントとしてかなり優秀。野茂英雄のメジャーリーグ挑戦時に代理人としてダンの名前が報道され、日本に於ける契約交渉代理人の第一人者として注目を浴びた。しかし、裏では野村沙知代に「何を考えているの? あんたは、野村家の恥よ」と言われるが、野茂が鮮烈デビューした時に「野茂がメジャーでバリバリやっているのは、息子に私がアドバイスしたからよ」と手の平を返した。そのようなこともあり、この時期に軽いうつ病に悩まされる。伊良部秀輝のメジャーリーグ挑戦にも代理人として携わり、伊良部が日本球界に復帰した後も代理人業務を続けた。現在は野茂の他、マック鈴木、吉井理人らの日本人選手を始め、アメリカの選手の代理人業務、日本の球団との橋渡しも行っている。ちなみにマック鈴木は、団野村が所有していたアメリカの独立リーグの野球チームに所属した。1995年ロビンソン・チェコの代理人となり広島東洋カープと揉め、アルフォンソ・ソリアーノの調停にも関与した。
エージェントになってからは、やたらとコーヒーを飲む。1日に10杯。多い時には、20杯も飲むことがある。しかし、タバコと酒は一切やらずに、ジムでエアロバイクで2時間トレーニングしたり、体を鍛えている。食にも気を使い、徹底した健康管理をしている。
ある日本人メジャーリーガーは、メジャー挑戦前に「団野村さんですか?彼を代理人にしてメジャーに行きたくないです。確かに優秀ですが、評判悪いみたいですから」と言っていた。評判が悪い原因としては、伊良部秀輝がメジャーリーグ挑戦時に、伊良部が所属していた千葉ロッテマリーンズの幹部とのトラブルがあったせいである。
実弟のケニー野村(後年、実母の野村沙知代についての暴露本を出版)も、「野村克彦」の登録名で、広島東洋カープ・日本ハムファイターズに在籍していた。
あまり知られていないが、クリス・ペプラーとは小学校時代の同級生である。
[編集] 参考文献
- 『日出づる国の奴隷野球―憎まれた代理人・団野村の闘い』 ロバート・ホワイティング著 文藝春秋1999年11月 ISBN 4-16-355680-X