国分謙吉
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国分 謙吉(こくぶん けんきち 1878年 - 1958年)は、政治家。岩手県知事を2期務める。(在任昭和22年(1947年)4月12日- 昭和30年(1955年)4月29日)。
[編集] 初代民選知事
日本国憲法施行以前は、都道府県知事は国から派遣された内務官僚が務めていたため、国分は同県初の民選知事である。
本業は篤農家であり、明治26年(1893年)同県に「私立国分農場」を創立し、優良種苗の無料配布などを行った。大正7年(1918年)には蚕種・種苗の生産販売、農薬・農機具の販売を営業とする「株式会社岩手農蚕」を設立、自ら社長に就任する。昭和22年(1947年)年最初の知事選挙に「岩手農政社」をバックに当選する。
[編集] 知事としての政策
もともと、農村部の格差への不満と、都市部での食糧行政改善への期待感に支持されて当選した経緯があり、在任中は農業基盤の整備に優秀な手腕を発揮。乳牛の奨励、県有林整備10年計画を推進する。また、戦時中の木の伐採が過ぎて、県内各地では水害が多発していたため、その復旧にも取り組んだ。その在任中、同県にはカスリーン台風、アイオン台風の上陸があり、沿岸部に深刻な被害が出たため、その復旧などにも努めた。
「ズーズー弁」で職務を行ったことには、従来の官選知事にはない親しみやすさがあったといわれ、当時「農民知事」と呼ばれ県民に親しまれた。
[編集] エピソード
現在、盛岡市と岩手郡滝沢村を結ぶ道路「国分通り」の名称は、彼の名による。
岩手県知事 | ||
第0代 官選 |
第1代 1947 ‐ 1955 |
第2代 阿部千一 |
カテゴリ: 岩手県の政治家 | 都道府県知事・市町村長 | 1878年生 | 1958年没 | 政治関連のスタブ項目