土岐頼知
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土岐 頼知(とき よりおき、嘉永元年(1848年) - 明治44年(1911年)10月3日)は、上野国沼田藩の第12代(最後)の藩主。第9代藩主・土岐頼功の三男と言われている。正室は松平信義の娘。江戸幕府での官位は従五位下隼人正。
嘉永元年(1848年)、江戸で生まれる。幼名は英之助。慶応3年(1867年)4月16日、先代藩主の土岐頼之が病気を理由に隠居したため、その後を継いだ。翌年の戊辰戦争では、新政府軍の沼田進駐を許して新政府に恭順し、三国峠の戦いで会津軍と戦っている。明治2年(1869年)、版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で免官される。後に子爵となった。
明治44年(1911年)10月3日、64歳で死去。
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