土岐頼之
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土岐 頼之(とき よりゆき、文政10年(1827年) - 明治6年(1873年)5月5日)は、上野国沼田藩の第11代藩主。松平定永の九男で、松平定信の孫に当たる。正室は土岐頼功の三女・鈴子。子は大原重朝室、田村宗顕室。官位は従五位下、美濃守。
弘化4年(1847年)、先代藩主の土岐頼寧が死去したため、その養嗣子となって後を継いだ。幕末期の動乱の中では若年寄、学問所奉行などに任じられ、第二次長州征伐にも幕府方として参加している。慶応3年(1867年)4月16日、病気を理由に家督を養嗣子の土岐頼知に譲って隠居し、明治6年(1873年)5月5日に東京で死去した。享年47。墓所:東京都品川区北品川の東海寺春雨庵。
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