大和神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大和神社 | |
---|---|
所在地 | 奈良県天理市新泉町星山306 |
位置 | 北緯34度34分15秒 東経135度50分15秒 |
主祭神 | 日本大国魂大神 八千戈大神 御年大神 |
社格等 | 式内社(名神大)・二十二社・官幣大社・別表神社 |
創建 | 崇神天皇12年 |
本殿の様式 | 春日造 |
例祭 | 4月1日(チャンチャン祭り) |
主な神事 | 御弓始祭 |
大和神社(おおやまとじんじゃ)は、奈良県天理市にある神社である。式内社(名神大社)、十六社・二十二社の一社で、旧社格は官幣大社。旧称朝和之宮(あさわのみや)
目次 |
[編集] 祭神
中殿に日本大国魂大神、左殿に八千戈大神、右殿に御年大神を祀る。
日本大国魂大神(倭大国魂神)以外の祭神については文献によって諸説あり、『神社要録』では左殿を須沼比神、『社家説』『元要記』では左殿を三輪大明神(大物主)・右殿を天照大神、『元要記一説』では右殿を稲倉魂神としている。
[編集] 歴史
日本書紀によれば、元々倭大国魂神は天照大神とともに皇居内に祀られていたが、崇神天皇は両神の神威を畏れ、崇神天皇6年9月、倭大国魂神を市磯邑に遷し、皇女・渟名城入姫を斎主として祀らせた。しかし、淳名城入姫は髪が落ち体は痩せて祭祀を続けることができなくなった。崇神天皇7年、臣下の夢に市磯長尾市を祭主とすべしとの神託があり、崇神天皇12年、大倭直の祖・市磯長尾市を祭主として、神地が定められ鎮座・創建された。
当初の鎮座地は、現在の鎮座地の東方の山麓であるとみられ、後に現在地に遷座したとされるが、遷座の時期ははっきりしない。
朱鳥6年(692年)、持統天皇は藤原京の造営にあたって、伊勢・住吉・紀伊の神とともに当社に奉幣し伺いを立てた。寛平9年(897年)、最高位である正一位の神階が授けられた。延喜式神名帳には「大和国山辺郡 大和坐大国魂神社 三座」と記載され、名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗の幣帛に預ると記されている。後に十六社・二十二社の一社ともなった。
平安初期までに、天照大神を祀る伊勢神宮に次ぐ広大な社領を得、朝廷の崇敬を受けて隆盛した。しかし、平安京への遷都や藤原氏の隆盛などにより衰微し、中世には社領を全て失っていた。
明治4年(1871年)、官幣大社に列せられた。江戸時代には社殿は寺院様のものに作り変えられていたので、官幣大社列格の際に新たに社殿が造営された。
戦艦大和には、同名であることから当社の祭神の分霊が艦内で祀られていた。戦艦大和は昭和20年に沖縄沖で沈没したが、そのときに亡くなった2717名の英霊が末社・祖霊社に合祀されている。昭和44年、境内に「戦艦大和記念塔」が建立された。
[編集] 祭事
1月4日の「御弓始式」は、小笠原流弓術による「三々九手挟式」で行われる。
[編集] 関連項目
- 元伊勢 - やはり皇居内に祭られていた天照大神が、皇居の外に祭られるようになり、現在の伊勢神宮内宮に鎮座するまでの経由地についての解説である。
- 大神神社 - 同じ理由により三輪山の大物主が祭られた神社についての記事である。
[編集] 外部リンク
- 大和神社WEBPAGE
- 大和神社(延喜式神社の調査)