伊勢神宮
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伊勢神宮(いせじんぐう)は三重県伊勢市にある神宮の俗称。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は神宮。ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶ。神道の神社では別格とされ、格付けはされない。
建物は皇大神宮(こうたいじんぐう)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう)からなる。通常は皇大神宮を内宮(ないくう)と呼び、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。内宮は皇祖天照大神(あまてらすおおみかみ・てんしょうだいじん)、外宮は豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祭る。近世江戸時代を除いて、古代から政治的権威と結びつくことが多かった。
皇祖を祀る神殿を「神宮」と称することは中国の『詩経』の「閟宮」(ひきゅう)の神楽歌への鄭玄(127-200年)の注釈に見える。そこでは周王朝の遠祖の「姜嫄」(きょうげん)という女神の「依(よ)る所、故に廟を神宮と曰(い)う」と述べられている。
広くは、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた一連の社宮を神宮と総称する。この場合、所在地は伊勢市にとどまらずまたがる。
社務所に当たる組織は神宮司庁と呼ぶ。
目次 |
[編集] 祭神
[編集] 祭主
伊勢神宮にのみ置かれている神職の役職。祈年祭・月次祭・神嘗祭において、奉幣使として参向し、祝詞を奏上して、天皇の意思を祭神に伝えることを主たる役目とする。式年遷宮に際しては造神宮使・奉遷使を務める。現在の祭主は池田厚子。
[編集] 由緒
- 付属施設:神宮司庁、神宮徴古館、神宮美術館、神宮農業館、神宮文庫など
[編集] 神宮125社
神宮が管理する宮社が125あり、俗に神宮125社と呼ぶ。125社の頂点は外宮・内宮の両正宮で、14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社がある。伊勢市だけでなく、度会郡大紀町・玉城町・度会町、志摩市磯部町、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町の4市2郡に分布する。
[編集] 正宮
- 皇大神宮(内宮)
- 豊受大神宮(外宮)
[編集] 別宮
別宮は「わけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次ぎ尊いとされる。
- 内宮別宮
[編集] 摂社
延喜式神名帳に記載されている神社(正宮、別宮を除く)を摂社とする。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代の1630年代から明治初頭の1870年代にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある。
- 内宮摂社
- 朝熊神社(あさくまじんじゃ)
- 朝熊御前神社(あさくまみまえじんじゃ)
- 園相神社(そないじんじゃ) 2座
- 鴨神社(かもじんじゃ) 2座
- 田乃家神社(たのえじんじゃ)
- 田乃家御前神社(たのえみまえじんじゃ)
- 蚊野神社(かのじんじゃ)
- 蚊野御前神社(かのみまえじんじゃ)
- 湯田神社(ゆたじんじゃ) 2座
- 大土御祖神社(おおつちみおやじんじゃ)
- 国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)
- 朽羅神社(くちらじんじゃ)
- 宇治山田神社(うじようだじんじゃ)
- 津長神社(つながじんじゃ)
- 堅田神社(かただじんじゃ)
- 大水神社(おおみずじんじゃ)
- 江神社(えじんじゃ)
- 神前神社(こうざきじんじゃ)
- 粟皇子神社(あわみこじんじゃ)
- 川原神社(かわらじんじゃ)
- 久具都比賣神社(くぐつひめじんじゃ) 3座
- 奈良波良神社(ならはらじんじゃ)
- 棒原神社(すぎはらじんじゃ) 2座
- 御船神社(みふねじんじゃ)
- 坂手国生神社(さかてくなりじんじゃ)
- 狭田国生神社(さたくなりじんじゃ)
- 多岐原神社(たきはらじんじゃ)
- 外宮摂社
- 草奈伎神社(くさなぎじんじゃ)
- 大間国生神社(おおまくなりじんじゃ) 2座
- 度会国御神社(わたらいくにみじんじゃ)(式内社)
- 度会大国玉比賣神社(わたらいおおくにたまひめじんじゃ)
- 田上大水神社(たのえおおみずじんじゃ)
- 田上大水御前神社(たのえおおみずみまえじんじゃ)
- 志等美神社(しとみじんじゃ)
- 大河内神社(おおこうちじんじゃ)
- 清野井庭神社(きよのいばじんじゃ)
- 高河原神社(たかがわらじんじゃ)
- 河原神社(かわらじんじゃ)
- 河原淵神社(かわらぶちじんじゃ)
- 山末神社(やまずえじんじゃ)
- 宇須乃野神社(うすののじんじゃ)
- 御食神社(みけじんじゃ)
- 小俣神社(おばたじんじゃ)
[編集] 末社
「神宮儀式帳」に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)を末社とする。
- 内宮末社
- 鴨下神社(かもしもじんじゃ)
- 津布良神社(つぶらじんじゃ)
- 葭原神社(あしはらじんじゃ)
- 小社神社(おごそじんじゃ)
- 許母利神社(こもりじんじゃ)
- 新川神社(にいかわじんじゃ)
- 石井神社(いわいじんじゃ)
- 宇治乃奴鬼神社(うじのぬきじんじゃ)
- 加努弥神社(かぬみじんじゃ)
- 川相神社(かわあいじんじゃ)
- 熊淵神社(くまぶちじんじゃ)
- 荒前神社(あらさきじんじゃ)
- 那自賣神社(なじめじんじゃ)
- 葦立弖神社(あしだてじんじゃ)
- 牟弥乃神社(むみのじんじゃ)
- 鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)
- 外宮末社
- 伊我理神社(いがりじんじゃ)
- 県神社(あがたじんじゃ)
- 井中神社(いなかじんじゃ)
- 打懸神社(うちかけじんじゃ)
- 赤崎神社(あかさきじんじゃ)
- 毛理神社(もりじんじゃ)
- 大津神社(おおつじんじゃ)
- 志宝屋神社(しおやじんじゃ)
[編集] 所管社
正宮・別宮・摂社・末社以外の神社を所管社とする。
- 内宮所管社
- 滝祭神(たきまつりのかみ)
- 興玉神(おきたまのかみ)
- 宮比神(みやびのかみ)
- 屋乃波比伎神(やのはひきのかみ)
- 御酒殿(みさかどの)
- 御稲御倉(みしねのみくら)
- 由貴御倉(ゆきのみくら)
- 四至神(みやのめぐりのかみ)
- 神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)(式内社)
- 神服織機殿神社 末社8社
- 神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)(式内社)
- 神麻続機殿神社 末社8社
- 御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)
- 饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)
- 大山祇神社(おおやまつみ)
- 子安神社(こやすじんじゃ)
- 外宮所管社
- 御酒殿(みさかどの)
- 四至神(みやのめぐりのかみ)
- 上御井神社(かみのみいのじんじゃ)
- 下御井神社(しものみいのじんじゃ)
- 別宮所管社
- 瀧原宮所管社
- 若宮神社(わかみやじんじゃ)
- 長由介神社(ながゆけじんじゃ)
- 川島神社(かわしまじんじゃ)
- 伊雑宮所管社
- 佐美長神社(さみながじんじゃ)(式内社)
- 佐美長御前神社(さみながみまえじんじゃ) 4座
- 瀧原宮所管社
[編集] 神宮林
神宮の所有する土地の大部分は森林で、俗に神宮林と呼ばれる。神宮での名称は宮域林である。神宮林は神路山、島路山、高倉山を主体とし、面積は5,410ha。約2,500haのと天然林と、将来の神宮式年遷宮で使用される予定のヒノキの植林を行なっている人工林に2分される。神宮杉は三重県の県の木に指定されている。
[編集] 式年遷宮
神宮の本殿などは、20年ごとに、まったく同じ形で建て直される。これを神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう)(単に式年遷宮、正遷宮などとも)という。これは、第一に社殿の清浄さを保つためで、他に建築技術の伝承、伝統工芸の伝承などの意味があるとされる。立て替えられたあとの古い建築材は、神宮内の他の社殿や施設に使用したり、日本各地の神社に譲り渡されたりして再利用される。
[編集] 句季毎の祭事
- 月次祭(つきなみさい)
- 神御衣奉織始祭(かんみそほうしょくはじめさい)
- 5月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各9時
- 10月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
- 神御衣祭(かんみそさい)
- 5月14日内宮12時、荒祭宮(内宮の後)
- 10月14日内宮12時、荒祭宮(内宮の後)
- 和妙(にぎたえ)と荒妙(あらたえ)の神御衣を奉る。
- 大祓
- 6月30日
- 12月31日
- その他大祭の前月末日
[編集] 毎日の祭事
- 日別朝夕大御饌祭
[編集] 変遷
[編集] 起源
日本書紀の記述によれば、第十代崇神天皇の時代までは、大和の宮中で天照大御神は祀られていた。ところが、疫病が国内に蔓延し、農夫・流離の反乱などが起こり、崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)」に御霊代を託し、最初の斎宮と伝えられる大和の笠縫邑に遷御された。これが今日の檜原神社の社地と謂われる。 大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、伊勢国の順に移動し、伊勢国内を移動した後、現在の五十鈴川の畔に五十鈴宮と言う名で鎮座した。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれ、その数25箇所とも29箇所とも謂われるが、記紀神話に従った伝説であって、考古学的資料に基づくものではない。
[編集] 古代
皇室の氏神(祖霊)として、天皇、皇后、皇太子以外の奉幣は禁止された。これを私幣禁断という。
[編集] 中世
朝廷の衰微に伴い皇室にとってのみの氏神から、日本全体の鎮守として武士たちから崇敬された。神仏習合の教説において神道側の最高神とされた。また、外宮側の度会家行より伊勢神道(度会神道)が唱えられた。 戦乱の激化により神宮領は侵略され、経済的基盤を失った神宮は衰微して、式年遷宮は停止せざるを得なかった。 神宮の信者を獲得し、各地の講を組織させる御師が台頭し始める。
[編集] 近世
1811年、私幣禁断が解かれ、天皇、皇后、皇太子以外が祀ることが公許された。このため お蔭参りが流行した。多くの民衆が短期間の間に神宮に押し寄せた。
[編集] 近代
明治政府により国家神道の頂点の神社として位置付けられた。
[編集] 交通
内宮
外宮
[編集] 文化財
[編集] 建築物
- 重要文化財「神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿)」(伊勢市宇治浦田町)
- 登録有形文化財「神宮徴古館」(伊勢市神田久志本町)
- 登録有形文化財「神宮農業館」(伊勢市神田久志本町)
[編集] 美術工芸品
- 国宝「玉篇巻第廿二」
- 重要文化財「紙本著色伊勢新名所絵歌合
- 重要文化財「神宮古神宝類」
- 重要文化財「太刀 銘吉信(附 糸巻太刀拵)」
- 重要文化財「太刀 銘次家」
- 重要文化財「太刀 銘俊忠(附 糸巻太刀拵)」
- 重要文化財「刀 折返銘有国」
- 重要文化財「毛抜形太刀」
- 重要文化財「古事記上巻」
- 重要文化財「古事記裏書」
- 重要文化財「古文尚書」
- 重要文化財「神宮法楽和歌 霊元天皇以下歴代天皇宸翰」
- 重要文化財「日本書紀私記」
- 重要文化財「日本書紀私見聞(春瑜自筆本)」
- 重要文化財「日本書紀私見聞(道祥自筆本)」
- 重要文化財「皇太神宮儀式帳 残巻・等由気太神宮儀式帳」
- 重要文化財「度会氏系図(元徳元年十一月注進本)」
- 重要文化財「天養記」
- 重要文化財「金銅透彫金具」
- 重要文化財「据台付子持はそう」(「はそう」の漢字は左が「瓦」、右が「泉」)
- 重要文化財「角屋家貿易関係資料」
- 重要文化財「渋川春海天文関係資料」
[編集] その他
- 選択無形民俗文化財「伊勢のお木曳き」行事」
- 選択無形民俗文化財「伊勢の「白石持ち」行事」
[編集] 名所・旧跡
- 国指定史跡「旧林崎文庫」
[編集] 年表
遷宮に関しては神宮式年遷宮を参照。
- 685年(天武天皇14年):式年遷宮の制を制定
- 690年(持統天皇4年):第1回内宮式年遷宮
- 692年(持統天皇6年):第1回外宮式年遷宮
- 709年(和銅2年):第2回内宮式年遷宮
- 711年(和銅4年):第2回外宮式年遷宮
- 712年(和銅5年)1月28日:『古事記』完成。
- 720年(養老4年):『日本書紀』完成。
- 927年(延長5年)12月26日:『延喜式』完成。
- 967年(康保4年)7月9日:延喜式施行。
- 1462年(寛正3年)12月27日:第40回内宮式年遷宮。こののち戦国時代で式年遷宮が中断。
- 1563年(永禄6年)9月23日:第40回外宮式年遷宮
- 1650年(慶安3年)1月:慶安のお蔭参り
- 1705年(宝永2年) :宝永のお陰参り
- 1771年(明和8年)4月:明和のお陰参り
- 1830年(文政13年/天保1年) :文政のお陰参り
- 1867年(慶応3年):ええじゃないか
- 1871年5月14日(明治4年):社格制度制定
- 1945年(昭和20年)12月15日:神道指令
- 1949年(昭和24年):第59回式年遷宮、延期
- 1953年(昭和28年)10月:第59回式年遷宮
- 1953年(昭和28年)12月:崇敬団体の伊勢神宮奉賛会が設立される
- 1965年(昭和40年)9月:伊勢神宮奉賛会が伊勢神宮崇敬会へ改称
[編集] その他
- 毎年11月上旬に開かれる全日本大学駅伝対校選手権大会では、内宮宇治橋前のロータリーが106.8kmの最終ゴール地点となる。