大野島
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大野島(おおのしま)は福岡県大川市にある三角州。
辻仁成の小説「白仏」の舞台であり、山田宗樹の小説「嫌われ松子の一生」の主人公「松子」の出身地でもある。
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[編集] 地理
福岡県大川市の南西部にある三角州。
三角州の中央に県境が走り、北を大野島(福岡県)、南を大託間(おおだくま、佐賀県)と呼ぶ。 (「郷土大野島村史」によれば、一つの島が二藩二県に分かれているのは、日本全国の三千余の島々中唯一のものらしい。) 東側を筑後川、西側を早津江川に囲まれており、それぞれに新田大橋、早津江橋という2つの橋が架かっている。 地形は、平坦。
大角(だいがく)、潟島(がたじま)、乾角(いねずみ)、外開(ほかびらき)、大上(おおがみ)、中上(なかがみ)、北中通(きたなかどおり)、南中通(みなみなかどおり)、五家(ごか)、中下(なかじも)、内開(うちびらき)、大下(おおじも)、長崎開(ながさきびらき)の13の地区から構成されている。
[編集] 観光
- 津村三郎左衛門の開拓の碑:大上にあったと思う。
- [勝楽寺]:辻仁成の小説のタイトルである「白仏」が安置されている。
- [厳島神社(大上)]:神社。
- [厳島神社(潟島)]:神社。
- [大角桟橋]:嫌われ松子の一生に登場する桟橋。
- [河川敷運動公園]:筑後川河畔の運動公園。散歩にでも。
- [新田大橋]:北側に筑後川昇開橋が見られる他筑紫平野を一望できる。また干潮時には導流堤を見ることができる。
[編集] 歴史
大野島の歴史は、開拓以来約400年である。 開拓当初は平尾島と呼ばれていたらしい。
- 1601年(慶長6年):津村三郎左ヱ門、同士7人とともに開拓開始。7人は、後の古賀(後の渡辺)、今村、中村、長尾、永島、堤、武下、吉川各紙の祖先。
- 1614年(慶長19年):厳島神社(大上)創建
- 1615年(元和元年):平尾島を大野島と改称。大野島の名の起源。
- 1691年(元禄4年):厳島神社(潟島)創建
- 1716年(享保元年):北大野島村、南大野島村が独立し、庄屋が置かれる。(それまでは一ツ木村の枝村扱い)
- 1755年(宝暦5年):勝楽寺創建
- 1812年(文化9年10月17日-18日):伊能忠敬大野島を測量
- 1872年(明治5年):江南小学校設立
- 1876年(明治9年):南北大野島村が合併し、大野島村が誕生
- 1885年(明治18年):大野島小学校設立(五家)
- 1896年(明治29年):大野島小学校現在位置(潟島)に新築
- 1901年(明治34年):大角渡船場に桟橋築造
- 1951年(昭和26年6月18日):早津江橋開通(大野島が本土と陸続きに)
- 1953年(昭和28年4月):大野島中学校開校。後、大川南中学校に統合され、廃校。
- 1954年(昭和29年4月1日):三潴郡大川町・川口村・大野島村・田口村・木室村・三又村の1町5村が対等合併し、大野島村の区域は大川市大字大野島となる。
- 1973年(昭和48年4月25日):新田大橋開通
[編集] 産業
- 農産物
- 水産物
- 海苔:『有明海苔』の産地の一つ。
[編集] 教育
[編集] 保育園
- 私立
- かささぎ保育園
[編集] 幼稚園
- 市立
- 大野島幼稚園
[編集] 小学校
- 市立
- 大野島小学校
[編集] 交通
最寄り空港は福岡空港または佐賀空港。 佐賀空港からは、タクシーで10~15分。約2500円。
バスの場合は、以下の4通りの行き方がある。
- 西鉄大牟田線西鉄柳川駅から西鉄バス早津江行きで、大野島小学校前、大野島農協前、外開下車(27分390円)。
- 西鉄大牟田線八丁牟田駅から西鉄バス大野島農協行きで大野島小学校前、大野島農協前下車(41分540円)
- JR鹿児島本線羽犬塚駅から西鉄バス大野島農協行きで大野島小学校前、大野島農協前下車(24分390円)
- JR長崎本線佐賀駅から佐賀市営バス早津江行きで終点早津江下車(29分料金不明)。早津江から西鉄バス西鉄柳川行きで外開、大野島農協前、大野島小学校前下車(5分150円)。
お勧めはしないが、佐賀市営バス大託間行きで終点大詫間で下車し、30分歩くという手段もあり。
[編集] 地域高規格道路
- 有明海沿岸道路(建設予定)
- 大野島(仮称)IC
[編集] 路線バス
西鉄バス久留米により以下の2路線が、それぞれ1時間に1本程度運行されている。
[編集] 路線バス(廃止路線)
佐賀市営バスによって、早津江橋経由で以下の路線が運行されていたが、20年以上前に廃止された。
- 大託間~大野島~早津江~佐賀駅バスセンター
[編集] 大野島を舞台とする作品
[編集] 大野島の歴史を書いた本
- 郷土大野島村史(武下一郎著)