大阪湾フェリー
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大阪湾フェリー(おおさかわんフェリー)は、かつて大阪府の泉佐野港と淡路島の津名港を結ぶ航路を持っていたフェリー会社。2000年に南海淡路ライン株式会社に経営を譲渡し、2007年に運行中止。
[編集] 概要
- 1961年に開業。当初は、深日(岬町)から、かつては海上交通の要所だった旧洲本市にある炬口港(たけのくちこう)までの航路で、四国から泉州・紀州への短絡ルートであった。
- その後、前後非対照大型新造船に更新されものの、洲本側にだけ潮による車輌甲板の高さを調節する油圧昇降装置が岸壁側になく、港内の手狭さの解消それに伴う駐車スペースの確保による地元漁港との交渉が不調に終わった為に津名郡津名町へ淡路側寄港地を移した。
- フェリーすもと、フェリーみさき、フェリー新あわじの3隻体勢、フェリーみさき引退のちに、それまでのデザインを引継ぎつつ船体幅を伸ばし内装が豪華になったフェリーさざんが就航。
- 津名港に移ってからは人のみでも乗船できるようになり難波、和歌山への鉄道の乗り継ぎも便利で旅費も安く行商の人もよく利用してた、また小旅行気分も味わえるこのルートを選択する旅客も少なくなかった。
- 1995年1月17日の阪神大震災後も影響無く、甲子園高速フェリー共々大活躍した。
- 1998年1月19日から関西国際空港対岸の泉佐野港へ変更になった。
- フェリーすもと、フェリー新あわじの引退に伴い和歌山~小松島航路を走っていた南海フェリーのフェリーたちばな(1986年竣工)と18ノット(10ノット=秒速5m)を誇る新造船フェリーせんしゅうが1998年1月就航(花博開催年、明石海峡大橋対策強化)の3隻体制になった。
- しかし、1998年に明石海峡大橋が開通すると同時に、乗客数・輸送数は泉州・和歌山県への短絡ルートであるにもかかわらず減少し、2000年に南海淡路ラインに経営を譲渡した。
- 近年、阪神大震災や合理化などでトラック輸送路の再編によるルート変更で当航路の需要が低下しつつある。
- 特に離島にある工業生産工場が減産、閉鎖も定期貨物の減少に影を落としている。
- フェリーたちばな(海外へ売却、済州島⇔釜山航路に)が引退した後は合理化により2隻体制になる。
- 2007年1月31日をもって運航休止。45年間の歴史に幕を閉じた。
- 引退船、”フェリー新あわじ”、”フェリーすもと”のその後の情報は「フィリピン モンテネグロシッピング」をサーチエンジンにかけて”MARIA FELISA”、”MARIA VANESSA”を探してみてください。
[編集] 外部リンク
- 大阪湾フェリー(南海淡路ライン(株)内サイト)