妹尾河童
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妹尾河童(せのおかっぱ)、男性、1930年(昭和5年)6月23日 - )は、兵庫県神戸市長田区生まれのグラフィックデザイナー・舞台美術家・エッセイスト・小説家。
エッセイ『河童が覗いた』シリーズで発表されるその緻密な手書きイラストには、定評がある。モデルガンのコレクターであり、52年規制に伴う規制強化論に対し「モデルガン友の会」の一員として戦い抜いたことでも知られる。
フジテレビ美術部に22年間在籍し、ミュージックフェアのセット美術で第1回伊藤熹朔賞テレビ部門を受賞した。
なお、「河童」はデビュー当時のあだ名であり本名は「肇(はじめ)」であったが、それが本名以上に浸透してしまったため1970年(昭和45年)に家庭裁判所の承認を取り付けて改名。それ以降は「河童」が(戸籍上も)本名である。
著書『少年H』は上下巻を合わせて300万部以上の大ベストセラーになった。『少年H』は講談社から刊行された『昭和二万日の記録』を引き写したうえで、エピソードをはめ込んだとして山中恒等から厳しい批判を浴びた。『間違いだらけの少年H 銃後生活史の研究と手引き』は『少年H』の内容についてその原典と引用を克明に記し詳細な批判を加えている。なお、著者の妹尾は「見た事、聞いた事以外は書かなかった」と公言していたが、批判についての反論はなく、『少年H』の版を重ねつづけた。
[編集] 略歴
- 1949年(昭和24年) 旧制神戸第二中学校(現・兵庫県立兵庫高等学校)卒業
- 1954年(昭和29年) 藤原義江に師事。独学で舞台美術家デビュー
- 1997年(平成9年) 著書『少年H』が毎日出版文化賞・特別賞受賞
[編集] 著書
- 河童が覗いたヨーロッパ
- 河童が覗いたインド
- 河童が覗いたニッポン
- 河童が覗いたトイレまんだら
- 河童が覗いた「仕事場」
- 河童が覗いた50人の仕事場
- 河童が覗いた仕事師12人
- 河童が語る舞台裏おもて
- 河童のタクアンかじり歩き
- 河童の対談おしゃべりを食べる
- 河童の手のうち幕の内
- 河童のスケッチブック
- 少年H