孝武帝 (南朝宋)
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孝武帝(こうぶてい、430年 - 464年、在位453年 - 464年)は、宋の第4代皇帝。姓は劉、名は駿、字は休龍、幼名は道民、廟号は世祖。第3代皇帝文帝の第3子。
453年、当時の皇太子であった劉劭が文帝を殺害した際、自ら大軍を率いてこれを討伐して逐い、誅殺した。その後自ら即位する。
在位中、中央集権を推し進め、側近に寒門を登用するなどの政策を行う一方で、兄の一族を殺害する暴虐さとともに奢侈を好む一面もあった。そのため、財源確保のために租税を厳しくするなど、宋の衰退の端緒となった。
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カテゴリ: 中国史の人物 | 魏晋南北朝時代の人物 | 430年生 | 464年没