学校法人青山学院
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学校法人青山学院は東京都に本部を置く学校法人である。
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[編集] 略歴
青山学院は、1874年にD.E.スクーンメーカーによって麻布本村町に設立された女子小学校と1878年にJ.ソーパーによって築地に設立された耕教学舎、1879年にR.S.マクレイによって横浜市山手地区に設立された美會神学校を母体としている。
それぞれの学校は全て米国メソジスト監督教会から派遣された宣教師によって設立され、現在でも青山学院はキリスト教プロテスタント・メソジスト派のミッションスクールである。
私立の教育機関としては131年(2005年現在)の歴史を持つ。
[編集] 青山学院スクール・モットー
「地の塩、世の光」
[編集] 青山学院教育方針
青山学院の教育は
キリスト教信仰にもとづく教育をめざし
神の前に真実に生き
真理を謙虚に追求し
愛と奉仕の精神をもって
すべての人と社会とに対する責任を
進んで果たす人間の形成を目的とする。
[編集] 校歌
- 校歌(作詞:大木金次郎 作曲:平岡精二 青山学院全体の校歌)
- これが制定される前は青山学院の歌(作詞;豊田実 作曲:團伊玖磨)が歌われていた。
[編集] 沿革
- 1874年 ドーラ E.スクーンメーカーにより女子小学校が開校。
- 1875年 女子小学校が救世学校へ改称。
- 1877年 救世学校が海岸女学校へ改称。
- 1878年 ジュリアス・ソーパーにより耕教学舎が開校。
- 1879年 ロバート S.マクレイにより美會神学校が開校。
- 1881年 耕教学舎が東京英学校へ改称。
- 1882年 美會神学校が東京英学校と合同。東京英学校、青山に土地を購入。
- 1883年 東京英学校が東京英和学校へ改称。
- 1888年 海岸女学校が東京英和学校の土地を40年の期限で借り、上級生のみを移行。東京英和女学校と改称(この時点では合同はしていない)。
- 1893年 海岸女学校幼稚園が開園。
- 1894年 東京英和学校が青山学院と改称。神学部、普通部(高等普通学部・英語師範科・予備学部)を設置。東京英和女学校が海岸女学校として残っていた下級生を併合。
- 1895年 東京英和女学校が青山女学院と改名。普通学部(高等科・予備科・普通科)、手芸部、幼稚園を置く。
- 1899年 海岸女学校幼稚園が閉鎖。
- 1899年 青山女学院手芸部は独立し、青山女子手芸学校となる。
- 1902年 青山学院校友会が創立される 。
- 1904年 青山学院高等科・神学部・青山女学院英文専門科は専門学校の認可を受ける。
- 1918年 青山女学院が英文専門科を閉鎖し、実務科、家政科、裁縫研究科を新設。
- 1927年 青山学院と青山女学院が合同し、神学部・高等学部・中学部・高等女学部(専攻科・本科)を設置。
- 1929年 高等女学部本科が高等女学部と改称。
- 1933年 高等女学部専攻科(家政科)は専門学校として認可され、女子専門部(家政科)と改称。
- 1937年 青山学院小学財団設立、青山学院緑岡小学校・同幼稚園を設置。
- 1943年 神学部を閉鎖。
- 1944年 青山学院緑岡幼稚園を閉鎖。専門部(文学部、高等商業学部)を閉鎖し、明治学院に合併。青山学院工業専門学校を開校。
- 1945年 空襲により、学院の建物の7割が消失する。
- 1946年 青山学院初等部を設置。青山学院女子専門学校(文科・外国語科・家政科・家事専修科)を設置。青山学院工業専門学校から青山学院専門学校と改称し、英文科・経済科・機械科・土木建築科を設置。東京農業大学常磐松キャンパス跡地を購入し、青山キャンパスを広げる。
- 1947年 前期中等教育を行う男女共学の中等部(3年制)を設置。
- 1948年 中学部を後期中等教育を行なう高等部とし、高等女学部を女子高等部とする。
- 1949年 青山学院大学(文学部(英米文学科・基督教学科)、商学部、工学部)の設置が認可される。
- 1950年 高等部に女子高等部を統合。青山学院女子短期大学が開校。
[編集] 設置教育機関
- 青山学院大学
- 青山学院女子短期大学
- 青山学院中等部・高等部(青山学院内では高中部という組織が管轄している)
- 青山学院初等部
- 青山学院幼稚園