安井武雄
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安井 武雄(やすい たけお, 1884年2月25日 - 1955年5月23日)は、大阪を中心に活躍した建築家。昭和初期のモダニズム建築を代表する建築として名高い大阪ガスビルディングなどを設計したことで知られる。
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[編集] 経歴
- 1884年(明治17年)千葉県佐倉市に生まれる。父信胤は陸軍軍人
- 1907年(明治40年)東京帝国大学建築学科進学(同期に、高松正雄・内藤多仲・波江悌夫・木子七郎ら)
- 1910年(明治43年)東京帝国大学建築学科卒業、南満州鉄道入社
- 1919年(大正8年)片岡建築事務所入所
- 1924年(大正13年)安井武雄建築事務所開設(野村財閥の創始者野村徳七の後援があった)
- 1945年(昭和20年)野村建設工業株式会社社長
- 1946年(昭和21年)安井建設株式会社社長
- 1951年(昭和26年)株式会社安井建築設計事務所代表取締役
- 1955年(昭和30年)逝去
[編集] 主な作品
- 大阪倶楽部(1924年、大阪市)
- 高麗橋野村ビルディング(1927年、大阪市)
- 日本橋野村ビル(1930年、東京都中央区)
- 大阪瓦斯ビルヂング(1933年、大阪市)
- 山口吉郎兵衛邸(現:滴翠美術館)(1933年、兵庫県芦屋市)
- 大和紡績本社ビル(1955年、現存しない)