安東惟季
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安東 惟季(あんどう これすえ、生年不詳 - 1462年(寛正3年)?)は、室町時代の武将で出羽の豪族。湊系安東氏の第3代当主。安藤成季の子で鹿季の孫。子に昭季がいる。通称を安東二郎。初名を堯季。法名を安興。
安東氏の系譜には様々な異伝があり、特に湊家は後に子孫が絶えたため系図が混乱している。先祖と同名を名乗る者も多く、途中改名もしばしば行われたこともあり、事績が混同していることも原因の一つである。
惟季は本領津軽を南部氏に逐われた宗家安東政季を誘い、1456年(康正2年)、秋田小鹿島(現秋田県男鹿市)に移らせたうえで秋田河北地方(後の檜山郡、現秋田県能代市)を治める南部配下の国人葛西秀清を滅ぼし、檜山を本拠とさせた。また、南部氏の史料では同年南部領を侵したとしている。また、1458年(長禄2年)には南部氏に敗れ一時湊城等秋田郡一帯を南部氏が統治したとの史料もあるが、1461年(寛正2年)には南部氏を追い払い旧領を回復したと見られている。
一方で政季は津軽奪還を図り、勢力拡大に努めたため、惟季の死後昭季の代に至ると軍役や男鹿地方を巡る勢力争いから檜山、湊両安東氏は対立したとする見解がある。
[編集] 参考文献
- 海保嶺夫 『エゾの歴史』 講談社、1996年、ISBN 4062580691
- 塩谷順耳ほか 『新版県史 秋田県の歴史』 山川出版社、2001年、ISBN 4634320509
- 渋谷鉄五郎 『秋田「安東氏」研究ノート』 無明舎出版、1988年
- 関口明ほか 『新版県史 北海道の歴史』 山川出版社、2000年、ISBN 463432010X
- 森山嘉蔵 『安東氏―下国家400年ものがたり』 無明舎出版、2006年
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