津軽地方
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津軽地方(つがるちほう)とは、青森県の西部を指す地域名。津軽半島、津軽平野部を指す。
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[編集] 地域
[編集] 区分
津軽地方は、岩木川がつくる津軽平野を中心とした地域圏であり、弘前市を中心にした南部の「中弘南黒地区」と、五所川原市を中心とした北西部の「西北五地区」、青森市を中心とした「東青地区」とに分けられる。西北五地方から津軽半島にかけての地域を奥津軽 と呼ぶこともある。
なお、狭い意味の津軽地方は津軽平野とその周辺のみであり、この場合「東青地区」は除かれる(現在でもこの地域に住む者は「津軽」と呼ばれることに抵抗がある)。
[編集] 拠点の変遷
中世には岩木川河口の十三湊があった「西北五地区」が貿易(国際・国内)で活況を呈したが、南部氏の侵入により衰退
江戸時代には弘前城が置かれ城下町が開かれた弘前のある「中弘南黒地区」が中心になった。日本海側の鰺ヶ沢・深浦は北前船の寄港地となって栄えた。特に、鰺ヶ沢は津軽産米の積出港として、最も重要視された。
明治時代になり、現在の青森市に県庁が置かれ、また、本州の鉄道の北のターミナル、および北海道との窓口となって青函連絡船が就航するようになったため、青森が存在感を増すことになった。その後、弘前市は陸軍第八師団と旧制弘前高校を擁した軍事・学園都市として、1889年(明治22年)の統計では、弘前市は人口30,487人で全国29位だった。
戦後、日本軍の解体により第八師団も解散したが、弘前大学が新設されたことから、弘前市は引き続き学園都市としての性格を保ち続けている。
白神山地の世界遺産登録を期に、ねぷたなどの文化や雄大な自然を有する津軽地方は、観光地として集客能力を増している。
[編集] 気候
日本海型気候であり、冬に雪が多いのが最大の特徴である。山間部の積雪量が多い。
夏は最高気温が30度程度まで上がる日もあるが、それほど暑さは長続きしない。盆地の形状に似た南部の「中弘南黒地区」はフェーン現象が発生して気温が高い一方、「西北五地区」「東青地区」では、しばしばやませの影響を受け、気温が上がらず、農作物に影響が出る年もある。ただし、やませが直接吹き付ける南部地方(青森県の東半分)に比べれば気温は高い。
なお、気象予報の地域区分「津軽地方」は、警報・注意報の発令の際、「東青津軽」「北五津軽」「中南津軽」「西津軽」に区分されることがある。
[編集] 歴史
歴史上の初出は655年『日本書紀』の斉明天皇元年の記述で、このころは「津苅」と書いている。ほか「東日流」「津刈」「都加留」などと表記されたこともある。中世には「津軽山辺郡」「津軽平賀郡」「津軽鼻和郡」の3つの郡に分けて把握されることがあった。
鎌倉時代は安東氏などが支配したが、14世紀になると、南部氏が支配するようになる。近世に至り、津軽氏が、主家であった南部氏の支配を脱し、大名として自立した。近世になると、それまでの「平賀郡」「鼻和郡」「田舎郡」の3郡がまとめられて「津軽郡」となる。明治維新のあと、青森県の一部となる。1878年(明治11年)、藩政時代以来の津軽郡が東津軽郡・西津軽郡・南津軽郡・北津軽郡・中津軽郡に分けられた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 津軽広域連合(中弘南黒地区の市町村連合)
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