宗像正氏
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宗像 正氏(むなかた まさうじ)は、戦国時代の武将。大内氏の家臣で、宗像神社の大宮司。
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時代 | 戦国時代前期 | |||
生誕 | 明応9年(1500年?) | |||
死没 | 天文16年(1547年?) | |||
別名 | 黒川隆尚(別名) | |||
氏族 | 宗像氏 | |||
兄弟 | 弟:宗像氏続 | |||
子 | 猶子:宗像氏続、宗像氏男 庶子:宗像氏貞 |
生年には1500年、1512年など諸説があって明確ではない。1508年、時の宗像神社大宮司であった興氏から家督を譲られて、大宮司となる。その後は大内義興に仕えて尼子氏や大野氏との戦いのために出雲や安芸を転戦した。
1527年、弟の氏続を猶子として、大宮司の家督を譲った。1528年、義興の死後は大内義隆に仕えたが、このとき義隆から周防黒川郷を与えられたため、黒川隆尚と号した。そして間もなく、家督を譲っていた弟の氏続を除いて、再び家督に復帰している。正氏には庶子として氏貞がいたが、死の直前の1547年に家督を猶子の氏男に譲って隠居し、同年のうちに死去した。
ただし没年には1551年説もあり、この説をとるのであれば、正氏は同年の義隆の死去に殉じたことにもなる。