宮本和志
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宮本和志(みやもと かずし、1979年2月22日 - )は日本の男子プロレスラー。福島県双葉郡出身。元キングスロード所属。
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[編集] 経歴
地元では札付きの不良として鳴らし、高校時代子分を引き連れてジャイアント馬場の元へ面会に行ったものの、態度をたしなめられ、心を入れ替えてトレーニングに励むようになる。
学生時代は相撲を、プロレスラーになる前はアームレスリングおよびボディビルを行っていた。
2000年に全日本プロレスに入門、練習生となるが、その練習の辛さから道場を逃げ出している。その後三沢光晴らの大量離脱でゴタゴタになった隙に出戻る。翌2001年8月19日、後楽園ホール興行での対馳浩戦でデビュー。
2003年には本間朋晃とタッグチーム、ターメリック・ストームを結成したが、2004年5月から無期限のアメリカ海外修行に出された。アメリカでは、ギミック上ザ・グレート・ムタの息子という設定の「ザ・グレート・カズシ」に扮して各インディ団体を転戦した。2005年7月には一時帰国並びに全日本プロレスの興行参戦した。その後アメリカに戻り、同年10月5日にはWWEのRAWのダーク・マッチ(TV放送されない試合)へ出場も果たした。
2005年11月に全日本プロレスを退団してキングスロード(以下、KR)に移籍。同団体のエースとなる。しかしKRが王道プロレスを掲げることから、KRおよび宮本へのファンの目は厳しく、KR移籍後はファンや関係者の批判を多く受けている。
旗揚げからすべての興行でメインイベントを務めるも、全日本出身者の対戦相手との終了後に「オレが王道だ!」とマイクパフォーマンスを行い、さらに批判を浴びることとなる。また、全日本出身者の得意技を一試合の中で数多く出していたことも批判された。
そのKRが活動停止を宣言した2006年7月1日以降は「KRを活動停止にはさせない」との旨を自身のブログで発表するも、同月末に自身のブログで「行って来ます」「しばらく旅立ちます」の言葉と空港での自身の後ろ姿の写真を掲載した。行き先については明らかにしなかった。
8月23日に帰国。以後は新日本プロレスやZERO1-MAXにスポット参戦している。
2007年、突如大阪プロレスにてGAINA率いるバッドフォースの刺客カズシとして参戦する。
[編集] 得意技
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 宮本和志の王道プロレス探求日記(宮本のブログ)