宮谷県
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宮谷県(みやざくけん)は、房総半島にあった県。千葉県の母体の一つである。
明治2年(1869年)2月9日、旧天領・旗本領を中心とする房総知県事の管轄を宮谷県とした。県庁は現在の千葉県山武郡大網白里町大網の日蓮宗本國寺境内に置かれた。現在、県指定史跡となっている。 初代知事は、久留米藩士で上総房州監察兼知県事であった柴山典。県内部の抗争である宮谷騒動により柴山は罷免され、龍野藩士柴原和が2代目知事となった。 明治4年(1971年)11月14日、他県と統合され木更津県となり、柴原は同県令に転じた。 領域は上総・安房のほか下総・常陸の一部を含む37万石余であった。
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