将門記
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『将門記』(しょうもんき)は、平将門の乱の顛末を描いた初期軍記物語。
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[編集] 概略
将門記の原本とされるものは残っておらず、『真福寺本』と『楊守敬旧蔵本』の二つの写本があるが、いずれも冒頭部分が失われており、本来の題名はわからない。鎌倉時代頃には「将門合戦章」、「将門合戦状」と呼ばれたようである。平将門が一族の私闘から国家への反逆に走って最後に討ち取られるまでと、死後に地獄から伝えたという「冥界消息」が記されている。
『真福寺本』は、名古屋市の真福寺に伝わるもので、1099年に書き写したという意味の奥書がある。整った字体や文章で誤字や訂正も少ない。『楊守敬旧蔵本』は、明治時代初期に来日した清国の楊守敬が所持していたとされるもので、真福寺本に比べて欠落部分が多く、筆蹟も奔放で訂正加筆が目立ち、内容も異なる部分が多いが、研究者によっては真福寺本より数十年古いとする見解もある。いずれも巻首部分が欠落しているが、抄本将門記略などから、将門一族の対立抗争の経緯が叙述されていたものと推測されている。文体は両本とも、和風の強い変体漢文で記された巻本である。
[編集] 作者・成立年代
作者・成立年代も不明で、諸説入り乱れている。平将門の乱の一部始終を詳細に書き綴っていること、仏教的な世界観や挿話がある点から、将門の近くにいた僧侶が作者であるとする説や、公文書類に基づいた記述があることに注目して、朝廷にいた貴族ではないかとする説、その他がある。成立年代も、巻末に「天慶3年6月記文」とあることで、将門死去の直後に書かれたとする説が明治時代以来支配的であったが、昭和に入り、この記年は冥界消息に付随する虚構であるとの指摘がなされた。他に、末法を示す記述が見られる点から、1052年以降の成立ではないかとする研究者もある。