小山秀朝
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小山 秀朝(おやま ひでとも、? - 1335年8月2日(建武2年7月13日))は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将。小山貞朝の子。官位は大夫判官。
初名は小山高朝。下野国小山城を領していた大名で、はじめは北条氏に従って幕府軍の一員として楠木正成の下赤坂城攻めや笠置城攻めに参加し、功を挙げた。しかし1333年、新田義貞が鎌倉攻略の兵を興すと寝返ってこれに応じ、幕府を滅ぼすのに一躍買った。その功績により、後醍醐天皇から下野守に任じられた。
だが、1335年に北条時行が中先代の乱を起こして関東に攻め入ろうとすると、武蔵国府中でこれを迎撃しようとしたが、北条軍の猛攻の前に大敗を喫して、同年7月13日に戦死してしまった。幕府を裏切った報いが、ここで返ってきたのかもしれない。
カテゴリ: 小山氏 | 鎌倉時代の武士 | 南北朝時代の人物 (日本) | 1335年没