小林覚
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小林覚(こばやし さとる、1959年4月5日 - )は、昭和・平成の囲碁棋士。長野県松本市出身、日本棋院所属、木谷実九段門下、九段。1995年に全盛期の趙治勲を破り棋聖位に就き、3年連続で趙と七番勝負を争う。他に碁聖位など。小林4兄弟(小林千寿五段、健二七段、孝之準棋士二段)の末弟。聶衛平の子の孔令文は娘婿。
厚みを重視した柔軟な棋風とも言われるが、本人は読みを基調とする碁と言い、特に趙との七番勝負以後は鋭い踏み込みも身に付けた。
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[編集] 経歴
長野県松本市に生まれ、子供4人をプロ棋士にしようとする父に、3歳からスパルタ教育を受ける。1966年に本格的な修行のために一家で東京に移る。長姉の千寿は6歳から一時期木谷の内弟子となっていたが、上京とともに4兄弟で木谷門に入門し、翌年から内弟子となり、その翌年には通い弟子に戻る。加えて孝之は瓊韻社の富田忠夫八段、覚は岩本薫九段にも師事する。兄弟では1972年の千寿に続いて、1974年に入段。低段時代から好成績を挙げ、同年代の山城宏、片岡聡、王立誠などど好ライバルであり、片岡、王、新垣武、健二らと研究会を行ない、神楽坂グループとも呼ばれた。
1981年に堀越学園で同級生だった女優の村地弘美と結婚。1984年に「囲碁クラブ」誌主催で、棋聖・名人であった趙治勲と山城、王、覚の3人による「新撰組」による「必殺打込み勝負」を1年間行い、一時は二子に打ち込まれるが、最後は互先に戻した。1987年九段。1992年にIBM杯早碁オープン戦優勝、同年から小林光一碁聖に3年連続挑戦するも敗退、1995年に棋聖戦で趙治勲に挑戦し4勝2敗で勝利、同年NHK杯優勝、林海峰から碁聖位獲得。翌年、趙に棋聖位を奪還され、その翌年に再挑戦するが敗れる。
2000年に柳時熏に対する暴行により、日本棋院から1年間の謹慎処分を受ける。2005年に名人戦で張栩に挑戦するが敗れる。
趣味は競輪で「競輪は知力、囲碁は体力」の語もある。
[編集] タイトル歴
- 留園杯争奪戦 1980年、1981年
- 新鋭トーナメント 1982年
- NEC杯俊英トーナメント 1987年
- IBM早碁オープン戦 1990年
- 棋聖 1995年
- NHK杯 1995年
- 碁聖 1995年
- 竜星戦 1996年
- アコム杯全日本早碁オープン戦 1998年
- 早碁選手権戦 2000年
その他の棋歴
- 棋戦戦 挑戦者 1997年
- 全段争覇戦優勝 1984年
- 各段戦優勝 五段戦 1979年、七段戦 1984年、九段戦 1994(棋聖位獲得)、99年
- 碁聖戦 挑戦者 1990、91、92年
- 日中スーパー囲碁
- テレビ囲碁アジア選手権戦準優勝 1989年
- 東洋証券杯世界選手権準優勝 1997年
- 三星火災杯・世界オープン戦準優勝 1997年
- 世界囲碁選手権富士通杯3位 1999年、ベスト4 2000年、ベスト8 2002、03年
[編集] 著作
- 『棋聖 小林覚の世界 囲碁界のニューヒーロー」 日本棋院 1995年
- 『40歳からの囲碁入門 はじめての挑戦!』棋苑図書 1998年
- 『小林覚 (囲碁文庫 打碁鑑賞シリーズ2)』 日本棋院 2003年
- 『小林覚名局細解』誠文堂新光社 2005年