小田滋
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小田滋(おだしげる、1924年10月22日 - )は、1976年(昭和51年)2月6日から2003年(平成15年)2月5日 まで3期27年間にわたり国際司法裁判所判事を勤めた日本の国際法・海法学者。東北大学名誉教授。
[編集] 人物
海洋法を特に専門とした。今となっては常識となった「shared resources」理論は当時は革新的なものであった。
初めて国際司法裁判所(ICJ)に登場したのは、1969年の「北海大陸棚事件」において、西ドイツの弁護人としてである。その独自の海洋法理論は判決に多大な影響を与えたと分析される。第三次国連海洋法会議には日本代表団のメンバーとして活躍する。
ICJ判事には、東北大学教授時代に登用された。学者出身の裁判官である。27年という任用期間は、常設国際司法裁判所以来からも史上最長記録である。ICJの裁判所所長への機会もあったが、本人は一裁判官としてずっと任務を続けるという意思で、これを断ったという。判決に付随する個別意見、反対意見を多数書いた判事として大変特徴的であった。本人は、これは他の裁判官を説得出来なかった自分の未熟さゆえんであると回顧している(毎日新聞談)。
人柄は誠実でかつ信念に満ち、ユーモアにも富んでいた。若手研究者にも大変やさしく接していた。