東北大学
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東北大学
大学設置 | 1907年 |
---|---|
創立 | 1736年 |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 国立大学法人東北大学 |
本部所在地 | 宮城県仙台市青葉区片平2-1-1 |
キャンパス | 片平(仙台市青葉区) 川内(仙台市青葉区) 星陵(仙台市青葉区) 青葉山(仙台市青葉区) 雨宮(仙台市青葉区) |
学部 | 文学部 教育学部 法学部 経済学部 理学部 医学部 歯学部 薬学部 工学部 農学部 医療技術短期大学部 |
研究科 | 文学研究科 教育学研究科 法学研究科 経済学研究科 理学研究科 医学系研究科 歯学研究科 薬学研究科 工学研究科 農学研究科 国際文化研究科 情報科学研究科 生命科学研究科 環境科学研究科 教育情報学研究部・教育部 |
ウェブサイト | 東北大学公式サイト |
東北大学(とうほくだいがく、英称:Tohoku University)は、宮城県仙台市青葉区片平2-1-1に本部を置く日本の国立大学である。1907年に設置された。大学の略称は東北大。
目次 |
[編集] 概観
[編集] 大学全体
日本で三番目の帝国大学として、1907年に創設された東北帝国大学を前身とした大学である。
東北帝国大学創立期の大学の略称は、東京帝国大学のそれが「東大」であったため「北大」であったという。後に東北帝大から分立した北海道帝国大学は「海大」とされた。ただし、現在では「北大」を東北大学の略称とすることはなく、「東北大」が用いられる。また、仙台市では「東北」の中国語読み(Dong1 Bei3)から「トンペイ」「トンペー」の愛称も使用されている。なお、「東北」(北東)を一字の方角で表すと「艮」(ごん; うしとら)となるため、東北大学医学部の関連施設や団体では「艮陵」(ごんりょう)の名称が数多く用いられているが、大学全体や他の学部での使用例は少ない。
[編集] 大学理念
東北大学では、現在「研究第一主義」「門戸開放」「実学尊重」の3つを大学理念としている。
- 研究第一主義
- 「研究第一主義」の標語は、初代総長である沢柳政太郎が明治44年の入学式における式辞で、「…大学の主とするところは研究第一であって…」と発言したことに由来している。先行した東京帝国大学が「官僚養成」を、京都帝国大学が「学問」を標榜したことから、第三の帝大である東北帝国大学は「研究」を標榜したものと考えられる。こうした研究第一主義の表れとして、第二次世界大戦前には附置研究所が10以上となった時期もあった。なお、1996-2006年に発表された論文についての引用回数では東大、京大、阪大に次いで国内4位(世界70位)、2005年度の研究経費は約175億円で、日本の国立大学の中では東大に次いで第2位。
- 門戸開放
- 既設の帝国大学が旧制高校出身者にのみ入学を認めていたのに対して、東北帝国大学は他の教育機関出身者にも入学を認めた。また、1913年には3人の女子学生に対して入学を許可しているが、これは日本の帝国大学はもとより、官立大学としても初の女子学生に対する入学許可であった。このような沿革の上に、現在では「門戸開放」のフレーズは、「学生・教員を問わず真に実力のある者はそのバックグラウンドにかかわらず受け入れる」という東北大学の方針を一言で表すための標語となっている。また、男女雇用機会均等法の改正を受け、杜の都女性科学者ハードリング支援事業やサイエンスエンジェル制度も導入されており、門戸開放の精神は今日においても受け継がれている。
- 実学尊重
- 東北大学は戦前からいち早く大学初のベンチャー企業を設立して地域産業の育成を図ったり、日常生活に密着した法律である家族法の研究拠点となるなど、最先端の研究を社会や生活に役立てる実学尊重の伝統を育んできた。
[編集] 沿革
- 東北帝国大学設置に至る過程については帝国大学参照
[編集] 略歴
東北大学の大本は、1736年設置の仙台藩藩校「明倫養賢堂」まで遡る。この藩校が、教育機関としての体制を維持しながら様々な改組・改称を経て、仙台医学専門学校、東北帝国大学医科大学、そして現在の東北大学医学部(医学科・保健学科)および薬学部の系譜に繋がっている。そのため、本稿では、明倫養賢堂が設置された1736年を創立年としている。
1900年1月29日、第14回帝国議会において「九州東北帝国大学設置建議案」が採択され、議会として東北地方に帝国大学を設置する正式な要望が政府に表明された。しかし、政府の資金難により設置が進まず、1902年にも「東北帝国大学設立建議案」が再度採択された。1906年、日露戦争の好景気で財を成した古河財閥から寄付があり、その一部と宮城県の寄付金等をあわせて、1907年6月22日に東北帝国大学の本部が仙台市に設置された(創立記念日)。本稿では、帝国大学令に基く大学として創立されたこの1907年を設置年としている。なお、2007年は東北帝大の本部設置から100周年とのことで、様々な記念行事が予定されている。
1907年6月の本部設置以降、実際の教育機関が拡充されていき、設立初期には計4つの系統が合流または新設された。まず、同1907年9月、北海道札幌区において、札幌農学校を母体とする農科大学を設置し、宮城県仙台市では、1911年に理科大学を新設、1912年に仙台医学専門学校を包摂して医学専門部を設置、および、仙台高等工業学校を包摂して工学専門部を設置した。
1915年、医学専門部は生徒募集を停止し、東北帝国大学医科大学が設置された。新入生は医科大学、以前からの在校生は医学専門部のままという状態であったが、施設は双方とも仙台医学専門学校以来の施設を流用した。ただし、医科大学には新たに先行帝国大学の東京帝国大学卒・京都帝国大学卒の人材を教授として招聘した。1918年に医学専門部の最後の学年が卒業すると医学専門部は廃止された。そのため、医学専門部の教授らは異動を余儀なくされ、他都市の医学専門学校へと移っていった。
大学令公布に伴う各帝国大学の分科大学制から学部制への改組に先立って、仙台市と札幌区に分かれている東北帝国大学は各都市毎に分立することになり、1918年、農科大学が北海道帝国大学として独立した。
1919年、学部制に改組すると同時に東北帝国大学工学部が設置された(このときの学部構成は理学部・医学部・工学部・工学専門部)。工学専門部では、医学専門部と同様に廃止されるとの危惧から存続運動が起こった。結果的に工学専門部は、仙台高等工業学校以来の建物等を東北帝国大学工学部に譲り、別の土地に建物を新設して、元の仙台高等工業学校との名称で分離独立した(のちに仙台工業専門学校と改称)。
1922年、法文学部が設置された。同学部は現在の文系諸学部の基盤をなす学部である。ちなみに、戦前の帝国大学では、北海道・大阪・名古屋以外の6帝大に文系学部が設置されている。
1947年に東北帝国大学は「東北大学」に改称。1949年に実施された学制改革に伴い、仙台市に所在していた官立学校(旧制第二高等学校・仙台工業専門学校・宮城師範学校・宮城青年師範学校)を統合、旧制宮城県女子専門学校を包括したうえで新制大学へと改組された。これら高等教育機関は、旧制第二高等学校が教養部へ、仙台工業専門学校が工学部と合流、両師範学校は教育学部へ、宮城県女子専門学校は農学部家政学科へとなった。なお、家政学科は在校生の教育機関としての存続であり、新規の学生募集を停止して、在校生が卒業した1951年に閉校した。
1965年、国立学校設置法改正を期に、師範学校の流れをくむ教育学部の教員養成系統が分立して宮城教育大学となった。1967年には、東北大学教育学部附属中学校・小学校および幼稚園を宮城教育大学に移管した。
1994年からは大学院重点化を開始した。また、2004年の国立大学法人化を期に、法科大学院・公共政策大学院・会計大学院の3つの専門職大学院を設置した。現在は青葉山新キャンパスの具体化やその他の改革を行っている。
[編集] 年表
- 1736年 仙台藩が藩校として明倫養賢堂を設置。
- 1760年 明倫養賢堂で医学教育が開始される。
- 1817年 明倫養賢堂から仙台藩医学校を分離。
- 1822年 仙台藩は仙台藩学校蘭科を開設し、わが国初の西洋医学講座を実施。
- 1869年 仙台藩医学校を施薬所と改称。
- 1872年 仙台県が宮城県へと改称されたのに伴い、施薬所を母体に宮城県立医学所となる。同年中に宮城県立医学所は廃止され、共立病院附属学舎へと改組
- 1873年 共立病院附属学舎は共立義塾と改称ののちに解散、1872年に設立されていた共立病院附属塾舎と統合
- 1879年 共立病院は同年中に仙台公立病院、宮城病院と順次改称、共立病院附属塾舎は最終的に宮城病院附属医学校へ改組
- 1880年 宮城病院附属医学校を宮城医学校と改称(1881年に元の名称に戻るも1882年に再度宮城医学校となる)
- 1887年 宮城医学校を母体に第二高等中学校医学部を設置。
- 1894年 第二高等中学校は学制改革に伴い第二高等学校へ改組。
- 1901年 第二高等中学校医学部を母体に仙台医学専門学校を設置。
- 1907年4月 仙台高等工業学校が新設される。
- 1907年6月22日 仙台市に東北帝国大学が創設される(創立記念日)。
- 1907年9月 札幌区に札幌農学校を母体とする農科大学を設置。
- 1911年 仙台市に理科大学を設置。
- 1912年4月1日 仙台医学専門学校を包摂して東北帝国大学医学専門部とし、仙台高等工業学校を包摂して東北帝国大学工学専門部とする。
- 1915年 医学専門部を母体に医科大学を設置。
- 1918年 農科大学を分離し、新設の北海道帝国大学へ移管。
- 1919年 大学令公布に伴い、分科大学制を学部制へ改組。工学部を設置。
- 1921年 工学専門部が、仙台高等工業学校として分離独立。
- 1922年 法文学部を設置。
- 1947年 農学部を設置。東北大学へと改称。
- 1949年 学制改革に伴い、仙台市所在の官立学校(旧制第二高等学校・仙台工業専門学校・宮城師範学校・宮城青年師範学校)を統合し、宮城県女子専門学校を包括して新制大学へ改組。法文学部を法学部・文学部・経済学部へ改組。教育学部を設置。
- 1953年 大学院設置(文学研究科・教育学研究科・法学研究科・経済学研究科・理学研究科・工学研究科・農学研究科)。
- 1955年 大学院医学研究科設置。
- 1961年 大学院薬学研究科設置。
- 1964年 教養部設置。
- 1965年 歯学部を設置。教育学部の教員養成系統を宮城教育大学として分離。
- 1972年 医学部を改組し、医学部薬学科を分離して薬学部を設置。大学院歯学研究科設置。
- 1973年 医学部を改組し、医療技術短期大学部を設置。
- 1987年 金属材料研究所を全国共同利用研究所に改組。
- 1993年 教養部を廃止。大学院国際文化研究科、情報科学研究科設置。
- 1994年 大学院各研究科の重点化を開始。大学院医学研究科を大学院医学系研究科へ名称変更。
- 1995年 電気通信研究所を全国共同利用研究所に改組。
- 2001年 大学院生命科学研究科設置。
- 2002年 大学院教育情報学教育部・研究部設置。
- 2003年 大学院環境科学研究科設置。医療技術短期大学部を医学部保健学科へ改組。
- 2004年 国立大学法人法の規定により国立大学法人へ改組。大学院法学研究科を改組、法科大学院(総合法制専攻)、公共政策大学院(公共法政策専攻)設置。
- 2005年 大学院経済学研究科を改組、会計大学院(会計専門職専攻)設置。
- 2006年 薬学部を改組し、創薬科学科(4年制-研究者養成)と薬学科(6年制-薬剤師養成)を設置。
- 2007年 創立100周年
[編集] 基礎データ
[編集] 所在地
[編集] 教育および研究
[編集] 組織
[編集] 学部
[編集] 大学院
- 文学研究科
- 教育学研究科
- 法学研究科
- 経済学研究科
- 経済経営学専攻(博士前期課程・博士後期課程、研究大学院)
- 会計専門職専攻(専門職学位課程、会計大学院)
- 理学研究科
- 医学系研究科
- 歯学研究科
- 薬学研究科
- 創薬化学専攻
- 医療薬科学専攻
- 生命薬学専攻
- 工学研究科
- 農学研究科
- 国際文化研究科
- 情報科学研究科
- 生命科学研究科
- 環境科学研究科
- 教育情報学研究部・教育部
[編集] 短期大学部
- 医療技術短期大学部
- 助産学特別専攻
[編集] 附属機関
- 学部附属施設
- 医学部及び歯学部附属
- 東北大学病院
- 歯学部附属
- 歯科技工士学校
- 医学部及び歯学部附属
- 附置研究所
- 金属材料研究所(金研、全国共同利用研究所)
- 電気通信研究所(通研、全国共同利用研究所)
- 多元物質科学研究所(多元研)
- 加齢医学研究所(加齢研)
- 流体科学研究所(流体研)
- 学内共同教育研究施設
- 情報シナジー機構
- 研究教育基盤技術センター
- 学際科学国際高等研究センター
- 未来科学技術共同研究センター
- サイクロトロン・ラジオアイソトープセンター
- 国際高等研究教育院
- 学術資源研究公開センター
- 高等教育開発推進センター
- 東北アジア研究センター
- その他
- 理学研究科附属植物園
- 理学研究科附属原子核理学研究施設
- 薬学研究科附属薬用植物園
- 総合学術博物館
- 附属図書館(本館、医学分館、工学分館、北青葉山分館、農学分館)
- 東北大学農学部付属農場( 宮城県大崎市鳴子温泉字蓬田232-3)
- 農学部・農学研究科に附属する実習農場で、通称「川渡農場」と呼ばれる。陸軍軍馬補充部に由来。現在は、「東北大学大学院農学研究科附属複合生態フィールド教育研究センター」を形成する施設。東北大学の所有する敷地面積の約96%を占める。農場内には農場本館の他にセミナーセンターを併設し農学部・農学研究科以外からも多くの学生が様々な用途で使用することが出来る。アクセスはJR陸羽東線川渡温泉駅より徒歩で約40分となっており、東北大学農学部の本部所在地である仙台市青葉区雨宮からは車で約2時間を要する。
- 農場内には実験用の田畑以外に演習林、牧場、各種施設等、実に多様な施設が併設され様々な実験・演習・試験などが行われている。農学部・農学研究科の学生も数多く利用しており、学部生はカリキュラムによってはここを訪れることになる。
- 東北大学米国代表事務所
- 2006年5月、米国カリフォルニア州、シリコンバレーにオープンした、世界戦略開発拠点。英語名はTohoku University US Office]]。所在地: 4410 El Camino Real, Suite 111, Los Altos, CA 94022, USA
[編集] 研究
[編集] 21世紀COEプログラム
- 採択13件
- 2002年
- 生命科学
- バイオナノテクノロジー基盤未来医工学
- 化学・材料科学
- 大分子複雑系未踏化学
- 物質創製・材料化国際研究教育拠点
- 情報・電気・電子
- 新世代情報エレクトロニクスシステムの構築
- 人文科学
- 言語・認知総合科学戦略研究教育拠点
- 2003年
- 医学系
- シグナル伝達病の治療戦略創生拠点
- 数学・物理学・地球科学
- 物質階層融合科学の構築
- 先端地球科学技術による地球の未来像創出
- 機械・土木・建築・その他工学
- ナノテクノロジー基盤機械科学フロンティア
- 流動ダイナミクス国際研究教育拠点
- 社会科学
- 社会階層と不平等研究教育拠点の形成
- 男女共同参画社会の法と政策
- 2004年
- 革新的な学術分野
- 医薬開発統括学術分野創生と人材育成拠点
[編集] スポーツ
- 野球は仙台六大学野球連盟に加盟している。
- アメリカンフットボールは、東北代表として北海道代表と戦うパインボウルへ毎年のように出場している。パインボウルに勝つとシトロンボウルで関東の2位レベルの大学と戦う。
[編集] 大学関係者と組織
[編集] 大学関係者一覧
[編集] 施設
[編集] キャンパス
[編集] 片平キャンパス
(片平丁:旧陸軍省用地→第二高等中学校→医工両学部設置→医が移転→東北帝大本部設置→旧制二高移転→法文学部設置→研究所等)
(南六軒丁:宮城県立仙台第一中学校→仙台高等工業学校→東北帝大工学部→研究所等→東北学院大学に一部売却)
- 使用学部:なし
- 使用研究科:生命科学研究科、法学研究科
- 使用附属施設:金属材料研究所、電気通信研究所、多元物質科学研究所、流体科学研究所
- 交通アクセス:仙台市営地下鉄南北線五橋駅、仙台市営バス東北大正門前停留所、青葉通一番町停留所
[編集] 川内キャンパス
(仙台城二の丸→官軍占領→東北鎮台→仙台鎮台→陸軍第2師団→GHQ/SCAP占領→教養部・文系学部)
- 使用学部:文学部、法学部、経済学部、教育学部
- 使用研究科:文学研究科、法学研究科、経済学研究科、教育学研究科、国際文化研究科
- 使用附属施設:高等教育開発推進センター、東北アジア研究センター
- 交通アクセス:仙台市営バス東北大川内キャンパス停留所より徒歩0分
東北大学では川内キャンパスを川内北キャンパスと川内南キャンパスに分けて管理している。
[編集] 青葉山キャンパス
(青葉山山林→陸軍工兵作業場→理工薬学部)
- 使用学部:理学部、薬学部、工学部
- 使用研究科:理学研究科、薬学研究科、工学研究科、環境科学研究科、情報科学研究科
- 使用附属施設:情報シナジーセンター、学際科学国際高等研究センター、未来科学技術共同研究センター、サイクロトロン・ラジオアイソトープセンター、国際高等研究教育院
- 交通アクセス:仙台市営バス理学部自然史標本館前、情報科学研究科前、工学部西、工学部中央、青葉山植物園ゲート前 各停留所
東北大学では青葉山キャンパスを青葉山北キャンパスと青葉山東キャンパスに分けて管理している。
[編集] 星陵キャンパス
(宮城病院→東北帝大・医および附属病院→医歯系学部用地・東北大学病院)
- 使用学部:医学部、歯学部
- 使用研究科:医学系研究科、歯学研究科
- 使用附属施設:東北大学病院、加齢医学研究所、歯学部附属歯科技工士学校
- 交通アクセス:仙台市営地下鉄南北線北四番丁駅、仙台市営バス・宮城交通バス大学病院前停留所、仙台市営バス交通局大学病院前停留所
[編集] 雨宮キャンパス
(大正時代まで農地→旧制第二高等学校が片平から移転→農学部)
- 使用学部:農学部
- 使用研究科:農学研究科、生命科学研究科
- 使用附属施設:Stub
- 交通アクセス:仙台市営地下鉄南北線北四番丁駅、仙台市営バス農学部前停留所
[編集] キャンパス統合問題
東北大学は仙台市青葉区内の5ヶ所にキャンパスが分散している。片平および雨宮キャンパスについては、青葉山キャンパスに隣接する宮城県有地への移転が1994年ごろから計画されていたが、宮城県有地を使用している仙台カントリー倶楽部との土地明け渡し交渉が難航していたため、計画の進行が停止していた。
2003年4月、宮城県と仙台カントリー倶楽部との間で和解が成立。今後、移転計画が本格化することになるが、移転費用として見込んでいた農学部の跡地(売却先未定)や片平キャンパス南部分(東北学院大学へ売却)などの評価額がバブル景気期から比べて相当下落してしまったこともあり、移転費用をどう捻出するか問題になっている。
青葉山新キャンパスの敷地内には2015年開業予定の仙台市営地下鉄東西線青葉山駅が、川内北キャンパスの北門地下には同線川内駅が建設される予定。また、学会などで国際センターと川内記念講堂とが有機的に連携して利用されることを想定し、同線国際センター駅(宮城県スポーツセンター跡地)と川内記念講堂との間には接続歩道が建設される予定である。
長期計画として、片平キャンパスの青葉山新キャンパスへの全面移転と星陵キャンパス研究部門(新設学科分は建物新設。その他は耐震補強のみ)の川内北キャンパスへの移転が構想されている。なお、星陵キャンパス(医学部)では大学病院の病棟を新築中であり、青葉山に移転予定とすると国からの財政支援が断たれる可能性があったことから全面移転計画は作らなかった。
[編集] 学生食堂
東北大学の学生食堂は、東北大学生活協同組合が独占経営していた。 平成18年11月30日を持って工学部東食堂を廃止し、それに伴い同年12月7日より株式会社自然食採に外部委託した「こもれびカフェ」とデイリーヤマザキが工学部機械系の前に新設された。
以下、建物ごとに記載する。括弧内は、別会計のコーナー、または同一建物内で別の部屋となっているものを列記。
- コンパ弁当部
- 片平店(北門カフェテリア、麺コーナー)
- 川内店(第一食堂、麺コーナー)
- 第一食堂は学内で最大の食堂であり、昼間には長い行列が出来る。テラス席あり。麺コーナーは入口も座席も別で、あまり並ばなくて良い。
- 川内店(第二食堂)
- 「貧民食堂」または「貧食」との愛称で呼ばれるカレーライスとピラフの専門店。なお、「疾風怒濤カレー」といった、名前も内容も豪快でユニークなメニューを期間限定で仕出するなど、粋のよい取り組みも行っており、学生の中でもかなりのリピーターがいる。
- 文系店(カフェテリア、麺コーナー、喫茶「ルポー」)
- ルポーには、長年絶えずに続く名物メニューとしてミルクコーラがある。
- 工学部店(中央食堂、グリル、麺コーナー)
- 工学部店(けやきダイニング)
- 工学部店(東食堂)平成18年11月30日を持って廃止
- こもれびカフェ(工学部機械系前)
- 株式会社自然食採に外部委託
- デイリーヤマザキ(工学部機械系前) 24時間営業
- 理薬店(カフェテリア、麺コーナー、レストラン「AOSIS」)
- 星陵店(カフェテリア、麺コーナー、スパ・カレーコーナー)
- 農学部店(カフェテリア、麺コーナー)
カフェテリアでは酒類も一日中販売されている。初夏の数日には、各カフェテリアが「ビール祭り」を開催する。特に川内キャンパスでは、屋台をずらりと並べて「ビアガーデン」が設置される。コンパ弁当部では、花見などの仕出しの他、秋季には芋煮会用の材料販売や大鍋の貸し出しなども可能である。
[編集] 寮
東北大学には6つの学生寮が設置されている。有朋寮に関しては廃寮を巡って係争が存在する。
[編集] 対外関係
[編集] 他大学との協定
- 多大学間協定
- 二大学間協定
- 東北大学 (中国):中華人民共和国遼寧省瀋陽にある東北大学とは、同名ということから大学間交流協定を締結している。
- 国立中央理工科学校リヨン校(ECL):フランス。大学間学術交流協定を締結し、学位を同時に取得できる「共同教育(ダブルディグリー)」プログラムを開始した。
- 国立応用科学院(INSA)リヨン校:ECLと同様の協定を結んでいる。
[編集] 民間企業との協定
東北大学は、研究協力や人材育成などの面で、組織的な連携協定を民間企業と結んでいる。2006年度までに協定を締結した民間企業は以下の4つ。
[編集] 投資ファンドとの協定
東北大学は、研究成果をスピーディーに事業化するために金融機関との協定を結んでいる。
- 東北イノベーションキャピタル(TICC):東北大学はTICCとの業務提携を行った。東京大の「UTEC1号」、北海道大の「北大アンビシャスファンド」、大阪大の「阪大イノベーションファンド」などと同様に、投資対象が1つの大学に限定されるベンチャーキャピタルの設立が目的。
- 国民生活金融公庫仙台支店:産学連携の協力推進に関する覚書を締結。東北大は、国民公庫仙台支店が取り次いだ中小企業の新製品開発への助言を行う。一方、国民公庫は、東北大学発ベンチャーを中小企業と見なして融資を行うこともある(既に融資した東北大学発ベンチャーあり)。
- 七十七銀行:ベンチャーのようなハイリスク融資を直接するかどうかはっきりした発表が見られない。しかし、TICCには投資しており、東北大学限定ファンドへの出資も見込まれる。
[編集] 社会との関わり
- 「青春のエッセイ 阿部次郎記念賞」:東北大学文学部が、東北大学創立100周年を機に、東北帝国大学法文学部長だった思想家の阿部次郎を記念して創設した文学賞。公募形式で、高校生が対象。公募形式の文学賞を創設している国立大は、東北大学以外にない。
- 「東北大学サイエンスカフェ」:研究者が、最先端の話題についての講演と、市民(特に若い世代)との議論をするシンポジウム。月1回せんだいメディアテークで開かれ、その模様は宮城県内の4つのケーブルテレビで放送されている。河北新報でも記事となり、ウェブ上でも読むことが出来る。
- 「東北大学インターネットスクール」:主に、東北大学大学院に所属する社会人大学院生のために、インターネットで講義をストリーミング提供している機関。世界中どこにいても講義が受けられるため、既に医者として働いていて博士号を取りたい者が中心的な利用者となっているが、社会人を受け入れている多くの学部で講義のコンテンツ化が進んでいる。また、特別講義などについては一般にも視聴が開放されている。
- 「未来科学技術共同研究センター」(NICHe):東北大学と産業界との共同研究機関。現在19の研究プロジェクトが進行している。研究部門のほかに開発企画部もあり、研究企画・コーディネートなどの窓口(ワンストップ・ソリューション)機能を持つ。
[編集] 関連項目
- 理化学研究所テラヘルツ光研究プログラム
[編集] 公式サイト
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