小笠原長会
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小笠原 長会(おがさわら ながえ、文化7年(1810年) - 天保7年2月26日(1836年4月11日))は、肥前唐津藩の第3代藩主。父は小笠原長保(長会は次男)。母は初代藩主・小笠原長昌の姉。官位は従五位下。能登守。幼名は岩五郎。
先代藩主の小笠原長泰に嗣子が無かったために養嗣子となり、1833年9月20日の長泰の隠居により後を継いだ。しかし藩主になった年に天保の大飢饉で凶作が起こるなどして苦難が続いた。1836年2月26日、27歳の若さで死去し、後を養嗣子の小笠原長和が継いだ。
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