小笠原長和
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小笠原 長和(おがさわら ながよし、文政4年(1821年) - 天保11年10月23日(1840年11月16日))は、肥前国唐津藩の第4代藩主。大和国郡山藩主・柳沢保泰の九男。官位は従五位下。佐渡守。
幼名は元之助。1836年に先代藩主の小笠原長会が死去したため、その後を継いだ。1836年に天保の大飢饉により領内で大飢饉が起こると、長和はその救済に尽力した。しかし家臣の一部に不逞な輩がいたことが原因で、1839年に領内で一揆が起こってしまった。これを鎮めるために尽力していた翌年10月23日、失意のうちに20歳で死去し、後を養嗣子の小笠原長国が継いだ。墓所:佐賀県唐津市の近松寺。
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