山室展弘
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山室展弘(やまむろ のぶひろ、1961年6月8日 - )は、日本の競艇選手。登録番号3070、身長169cm、血液型A型。
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[編集] 来歴
51期訓練生として本栖研修所に入り、リーグ戦勝率1位の成績を残した。1986年、新設された新鋭王座決定戦競走で優勝、その後もSGG1戦線で活躍。1999年全日本選手権競走でSG初優勝。2006年前期勝率1位。2006年6月18節連続での優勝戦進出を達成。
[編集] 人物・エピソード
- かつて、新聞記者に言ってもいないことを書かれた事が原因で記者に対して愛想が悪く、取材やインタビューを嫌い、拒否し続けている。たまに答えるときも、記者やインタビュアーの揚げ足を取るかのようなコメントやふざけたコメントをする事が多い。大抵のインタビュアーは山室の性格を読んで当たり障りのないインタビューをするが、突っ込んだ質問をしてくるインタビュアーとの間では口論のようなやり取りになることも。
- 高い能力を持っている選手だが、非常に気まぐれな性格であり、やる気があるときは鬼のように強いが、やる気が無いときは(実力的に)負ける事の無いようなメンバー相手でもあっさりと負けてしまう。
- 上記等の理由で山室に対して斡旋拒否をしている場がある。特にホームグラウンドの児島競艇場では(同時に山室が斡旋拒否していたのもあり)1998年4月から2005年8月まで約7年4ヶ月も出場が無かった。その間、当地で開催されるSGに出場出来るだけの成績を残していたのにも関わらず斡旋拒否は続いた。
- CS中継やインタビュー機会が多いせいかG1,SGに出たがらない(斡旋拒否もある)が、たまに出場したG1,SGではまだまだ力がある所(2004年全日本選手権競走(ダービー)準優勝戦3着、2006年徳山周年記念優勝戦2着)を見せてくれている。たらレバの話しになるが、常にやる気を出し、記念優勝戦での勝負強さ・一般戦での圧倒的な強さをもってG1やSGに普通に出場していれば物凄い選手になっていたかもしれない。
- 開会式の選手紹介では、「皆さんようこそ」と挨拶した後に、(不思議なコメントが多いものの)何か一言コメントする事が多く、「舟券とセックスは下手でも楽しめる」などの名(迷?)言などを残してきた。また、表彰式など機嫌がいいときは饒舌になる事もあり、独特の言い回しでファンにメッセージを送ることもある。
- 時に「選手を辞める」という旨の発言をする。しかし、これは以前から言っている口癖のようなものであり、インタビュアーに「私、その言葉5年くらい聞いてますけれども」と突っ込まれた事がある。
- 記者の取材やインタビュー関係を非常に嫌う山室だが、選手やファンに対してはごく普通に接しており、むしろ優しささえ感じさせると言う。雑誌にて同支部の後輩の若手選手が山室にスノーボードに連れて行って貰ったというコメントが掲載されていた。
- 某スポーツ紙で、山室が地元岡山で地域のボランティア団体に所属し、オフに暇を見つけては福祉施設や養護施設に出向いて、お年寄りや体の不自由な方々の世話などをしているという話がある(真偽の程は定かにはしていないが)と紹介された。
- 同じ選手であり、かつて所属していたペラグループの「イーグル会」のメンバーでもある三宅文香と交際していた事がある。
- インターネットの掲示板では「(山室)先生」という呼び名で呼ばれている。
[編集] 競艇優勝歴
[編集] SG
[編集] G1
- 1986年 新鋭王座決定戦 ⇐初代チャンピオン
- 1991年 浜名湖38周年記念競走
- 1992年 浜名湖39周年記念競走
- 1993年 常滑40周年記念競走
- 2000年 第43回中国地区地区選手権
- 2000年 徳山47周年記念競走
- 2002年 徳山49周年記念競走